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2016-04-14(Thu)

35、 安芸の宮島・厳島神社の大願寺(神宮寺) 




  35、 安芸の宮島・厳島神社の大願寺(神宮寺)  




https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4a/Daikanji_2011_1.JPG/800px-Daikanji_2011_1.JPG
厳島神社の大願寺



 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f1/Daikanji_2011_2.JPG/800px-Daikanji_2011_2.JPG



 http://blog-imgs-53.fc2.com/j/i/n/jinjyaotera/itukusimajinjya14.jpg
山門



 https://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/09/9e/e7/29/caption.jpg
護摩堂






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大願寺は神宮寺であり、別当寺、

大聖院については先に記載しましたが、厳島神社とほぼ同居している大願寺(だいがんじ)が建っています。 宮島町にある高野山真言宗の寺院で、山号は亀居山、院号は放光院、そして本尊は薬師如来になります。 

元より、大願寺は厳島神社の神宮寺でもあり、別当寺でもあります。
この寺院は仏教の僧侶が神祇に奉仕するために,神社の境内などに建立された寺院のことで、神社の祭祀が読経などの仏式で神宮院,別当寺,宮寺などともいいます。 
神仏混交の代表的な神仏の形式です。

ところが、明治の神仏分離令によって大願寺や本堂は厳島神社から遷され、本尊は薬師如来であるが、現在は弁才天像(秘仏で開帳は毎年6月17日)など、多くの仏像を安置しております。

歴史的にはこの大願寺の創建年代等については不詳であるが、寺伝によれば平安時代初期に空海によって開かれたと伝えもある。 しかし、一説によれば鎌倉時代初期の頃に了海によって開かれたとも伝えられる。 古くから大聖院とともに厳島神社との関係が深かったとされます。


本堂には神仏分離令によって厳島神社から遷された八臂弁才天像(秘仏で開帳は毎年6月17日)を配置し、阿弥陀如来像と護摩堂の元本尊だった如意輪観音像を脇侍として配置している。 

宮島現存の仏像中、最古とされる本尊の木造薬師如来像(重要文化財)、千畳閣の本尊だった木造釈迦如来坐像(重要文化財)脇侍の阿難尊者像と迦葉尊者像(ともに重要文化財)、
又、五重塔の本尊だった釈迦如来坐像・脇侍の文殊菩薩と普賢菩薩の三尊像、多宝塔の本尊だった薬師如来像、などを安置しています。


本堂奥の書院は、第二次長州戦争の時、勝海舟と長州藩藩士らが会談をした場所として知られる。 

又、境内には本尊の御使い龍神の分祀を祀る社と、2006年(平成18年)4月2日に再建され、総白檀の1丈6尺の不動明王を安置する護摩堂がある。


世界遺産。安芸の宮島の厳島神社   終わり

  
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2016-04-13(Wed)

34、安芸の宮島・厳島神社の五重塔の謎、 





  34、安芸の宮島・厳島神社の五重塔の謎、  





http://takasaki32.fc2web.com/08.03.21.3b.jpg



http://image.photohito.k-img.com/uploads/photo62/user61455/a/9/a9c1816250b1a77b7db36882c625feba/a9c1816250b1a77b7db36882c625feba_l.jpg






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厳島神社と五重塔の関係・・?、

古くから、この宮島は神がいる島とされてきて、平清盛とのゆかりの深い神社でもありますが、実は平清盛の出世と関係があるともされています。
清盛が時の権力より出世が決まった時、丁度、厳島神社を参拝するために向かっていたとも言われていて、それで平家にとっては大切な神社となったとされています。

そして、この厳島神社の気になるのが神社と寺院・お寺が渾然一体となっている点です。 其の一つが神社の後ろに建っている五重塔ですが、この建物は別称で厳島神社の塔婆とも言われているそうです。 
そう言えば、五重塔も綺麗な朱色をしていて、厳島神社の全体としてマッチしていまね。

ところで、五重塔と言えば当然ながらお寺のイメージがあります。
でも厳島神社はその名の通り神社です。 

そうなんです昔は神様と仏様が混じり合うことは珍しくなく、所謂、神仏混交の時代が普通で、江戸時代まで長く続いてのでした。 
でも明治期になって神仏分離令というものがあり、そして、建物が取り壊されたりしたんですが、厳島神社の五重塔は余りに貴重なものとされ残されたものなのです。

因みに、この五重塔は元は大聖院の子院である金剛院に属していたが、明治の廃仏毀釈の時に厳島神社の所属となったものです。

この厳島神社は実は安芸国の一之宮であり、且つ日本に現存する22基の五重塔のうちの一つでもあります。 
そんな塔だが、見事なまでに真っ赤に染められていて厳島神社の社殿と同じく真っ赤に染め抜かれているが、厳島神社の社殿とはだいぶ離れた小高い丘の上に建てられているせいか、やはり地味な印象は拭い難い。

この五重塔は、千畳閣の隣に建っていて和様形式と唐様形式を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しい塔です。

高さは27.6mとされ、室町期の応永14年(1407年)に建立されたものと伝えられています。内部は完全な唐様で、一般の見学はできないが、内陣天井に「龍」、外陣天井には「葡萄唐草」、来迎壁の表には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれています。

塔内にあった仏像は、明治元年の神仏分離令により、大願寺に遷されましたが、この五重塔が建つ塔の岡は、先にも記載したが厳島合戦で陶軍が陣を構えたと伝えられています。

塔は小高い丘に建っているが、その立地から塔と同じ目線の少し離れたところから全景を眺めることができないのが、残念な点である。
各層の軒の反りが著しく、下から見上げると不死鳥が翼を広げ、今にも飛び立とうとしているような姿に見えなくも無い。


次回は、「厳島神社の大願寺(神宮寺)」

  
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2016-04-12(Tue)

33、 安芸の宮島・厳島神社の魅力と分社、 




  33、 安芸の宮島・厳島神社の魅力と分社、  





https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/52/Kiyomori-jinja.jpeg/800px-Kiyomori-jinja.jpeg
末社・清盛神社



https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c6/Omoto_Shrine_%28Miyajima%29_-_DSC02291.JPG/800px-Omoto_Shrine_%28Miyajima%29_-_DSC02291.JPG
末社・大元神社



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 厳島神社の魅力とは・・?

宮島は瀬戸内海の入り口付近にある島で、瀬戸内海は満潮時と干潮時の潮位の差が大きいそうです。
満潮時には回廊の下に海水が来るし、それにしても厳島神社は、計算されたデザインだなっています。


大鳥居の表、裏の扁額の社名だけでも、厳島神社の歴史を垣間見ることが出来ます。
厳島神社を訪れた際には、特に大潮の干潮時に大鳥居の下まで行き、自分の目で確かめてみてはいかがでしょうか。


本社と本殿があって、拝殿がある。
平舞台があって、その中に高舞台がある。
よく見ると高舞台には手すりがついていません。  
従って、ステージみたいな風になっているんですね。

それから東と西に回廊が伸びていて、チョット遠回りするような感じで神社本殿やその前には拝殿が鎮座しています。


因みに、本殿や社殿というのは、神社の境内にある建物を総称していう言葉であり、本殿とは、そのうち御神体や祭神がまつられている中心的な建物を指します。社殿には、本殿のほか、拝殿(はいでん)や幣殿(へいでん)、御饌殿(みけでん)、祓
殿(はらえでん)、神楽殿(かぐらでん)など、その神社の規模によって様々な建物がありますが、どんなに小さくても本殿と拝殿はどんな小さな神社でも殆どの社にあります。

そして、本社と言うのは総本社ともいい、全国各地に本社より勧請された支社や分社、末社、摂社、枝宮、其れに地域や村にある里宮(郷社)、氏神様など、本社の祭神を他所で祀る際、その神の神霊を分けた神社のものを指します。
即ち、安芸の宮島の厳島神社は、全国にある厳島神社や其の系統の神社の本社と言う事になります。

そして、宮島島内にも末社が金刀比羅神社、清盛神社、豊国神社、今伊勢神社などが鎮座しています。


其れに、厳島神社は海の中に建っているわけで、特別な建て方をしているのかと思えば、そうでもないようです。 
構造は陸上と同じであり、地面に礎石という石を置いて、その上に柱を立てているそうです。

つまり、厳島神社の素晴らしさはその立地場所にあり、そして、背後の緑色、神社の朱色と白色、海の青色と目にも鮮やかで、この色合いこそが最も人々を魅了するものなんですね。


次回、「厳島神社と五重塔の関係・・?、」

  
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2016-04-11(Mon)

2、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(5) 





  32、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(5)  





http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/72/9cb8bb7f328507f949ab275be562ad98.jpg
大鳥居の継ぎ目の部分




http://www.miyajima-wch.jp/common/img/itsukushima/torii07t.jpg
出典; http://www.miyajima-wch.jp/jp/itsukushima/column.html


https://encrypted-tbn1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSXxEC389gO3P5_jYCbMmstk1MgArRL0KlOGSJpUjk6C1ejvzM



https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcQ58oRqQD3l16Znfef1nFF6NrKFIyyq4ZgX4SofQUQWW9QlOR9yLw
笠木の両端にある太陽と月、





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大鳥居の困ったエピソード、

前回に大鳥居の柱の構造について記載したが、其の大鳥居の主柱は、腐りにくく虫に強いクスノキが使われています。

此れは昭和25年、水に浸かる柱の下部を新しいクスノキに取り替えるときのことでした。 
余りににも木が太く巨大なため、載せた貨物船がトンネル入口で立ち往生し、木をぎりぎりまで削ってやっと運んだということがあったそうです。
また、次代の修繕のときには宮島産のクスノキを使うことを望みながら、その都度、住人たちによって植林されているそうです。

ところで、観光客に絶対にやめてほしいのが、大鳥居の柱などのすき間に10円玉や5円玉などの硬貨を、写真のようにクスノキの割れ目の間に差し込む行為であります。 

間違ったエピソードや俗信が伝わり、禁止されているにもかかわらず、やる人が後を絶他ないと云われます。

この行為は世界遺産を傷つける行為と一緒であり、又、大鳥居の老朽化が進む恐れがあり、補修しながら維持していることを考えてほしいですね。



厳島神社の大鳥居の歴史、月と太陽、

現在の大鳥居は、1875年(明治8年)に再建されたといわれ、この大鳥居は当初は平安時代に造られ、現在までで「八回」も造り替えているそうです。

大鳥居の「笠木(大棟)」の両端には「月」と「太陽」の紋章が描かれているのです。 

此のことは、実は厳島神社の大鳥居の「笠木(大棟)」の両端には、社殿からみて右側(東側)には、「太陽の紋章」が刻まれています。 

また、逆に、西側(左側)には、「月の紋章」があります。
これは、陰陽道の理(ことわり、道理、秩序、理法、)を指し示すとも云われているのです。



陰陽道とは・・?

陰陽道とは簡単に説明すると、「古代中国の陰陽五行説の思想に基づいて天文・暦法・占術などの学問的なものから天人相関思想による祥瑞災異などの思想、あるいは呪術・祭祀に至るまでを包括したもので、日本において体系化されたもの。」と定義することができます。

即ち、森羅万象の理に則り、方角や月・太陽・星などの位置などを総合的にみて、物事の良し悪しを見極めるために用いられたもので、中国大陸から日本へ伝来した思想の1つです。

この陰陽道は、名前こそは違いつつも、現代でも占いと言う形で伝承が残っています。


厳島神社にこの月と太陽の紋章が刻まれている理由は、以下のようになります。

古来から、北東は「鬼門」であるといわれてきました。
そして、陰陽道に則り、この鬼門を封じる場合、大鳥居の東側(社殿からみて右側)に、太陽の紋を刻むことで、鬼門の効力を封じていると謂われています。

「陰陽道の理」を用いた場合、太陽があれば、月が対極の位置に存在しますので、対極に「月」を刻んだものだと思われます。


次回は、「厳島神社の大鳥居の謎・秘密(6)」

  
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2016-04-09(Sat)

31、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(4) 





  31、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(4)  




http://photo1.ganref.jp/photo/0/fdca21d302ad9f38efba9fe05280d776/thumb5.jpg



http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/72/9cb8bb7f328507f949ab275be562ad98.jpg
大鳥居の継ぎ目の部分 (コインについては後ほど)




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★ 大鳥居の構造の不思議、

次に、厳島神社の大鳥居は、厳島神社の境内から沖合約200mの位置に建てられています。 
そして、この鳥居に近づくことで、さらに理解できますが、厳島神社の大鳥居は、他の神社の鳥居とは、明らかに違う建築構造をしているのです。

それは、干潮時に鳥居の足元を見ればわかりますが、通常の鳥居であれば、柱が2本あり、それぞれの柱となっている木が、地中深くに埋まっているはずです。

ところが、厳島神社の大鳥居は、本柱は1本と前後に足が2本ついていて、左右ですと6本になっているのです。

そして、その4本の支柱で鳥居全体を支えているのですが、何と地中には埋まっていないのです。
つまり、置いてあるというか載っているだけなのです。 
水の動きの激しい海中でも、忽然と直立していられるのかと思われがちですが、厳島神社の大鳥居は置いてあるだけなんですね。



★ 大鳥居の立ち姿、此れはどういうこと・・?


大鳥居の柱の足元の底部分には、「千本杭の工法」と言う建築方法が用いられていると言われています。
厳島神社の大鳥居の大鳥居の足元の底の部分の所謂、「千本杭の工法」とは「杭の工法」の一つで、45cmから60cmの「松杭(まつぐい)」と呼ばれれるクスノキを用いた杭が打ち込まれています。

各柱に打ち込まれた松杭の数は、30本~100本ほど打ち込まれています。 
其のクスノキが鳥居の材料に選ばれて理由とは、以下のようになります。

他の木材よりも重量がある、腐食しにくい、虫に強い、などの理由からと言われています。



★ 大鳥居に玉石が詰められている・・?

次に気になるのが大鳥居の玉石の事ですが、エッ、玉石って・・?。 
大鳥居の高さは16.59メートルで、柱の間が10.85メートル、まさにビッグサイズの鳥居で、日本三大鳥居の一つで、 厳島神社を象徴する存在と言ってもいいでしょう。


因みに、その他の二つの鳥居というのは、もう一つが.吉野の銅の鳥居(かねのとりい)(重要文化財)で、金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂の参道に建っていて、室町時代のものと伝えられ、高さが約8メートルとされています。(額束は「発心門」)、二つ目が.大阪の四天王寺の石の鳥居(重要文化財)で、永仁2年(1294年)に造られた日本最古の石造りの大鳥居のとされています。

普通の神社を考えてみますと、鳥居の外ってどうなってますか・・? 階段があるとか、道路があるとかそれが普通です。
厳島神社の大鳥居の外はどうなっているでしょうか、そう、海なんです・・! 。
まるで、広い海も含めて厳島神社なんですって言っているようにも見えますね。

堂々とした大鳥居。注目したいのは、一番上の部分。屋根のようになっています。
屋根の下は箱形になっているんだそうですで、箱の中身は、玉石がぎっしり詰まっているおいわれます。

実は、拳ぐらいの玉石らしいく、何でこんな高いところに石を入れる必要があるんでしょうか、其れはどうやら鳥居全体をを重くするためみたいです。

水の中にあるだけに浮きやすくなります、従って石をギチギチに詰め込んで重みを加えている。
こんなに大きな鳥居が倒れないように工夫しているんですね。


次回、厳島神社の大鳥居の謎・秘密(5)

  
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