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2016-07-12(Tue)

平成日本紀行(127)南小国 「黒川温泉」(Ⅱ) 



九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 平成日本紀行(127)南小国 「黒川温泉」(Ⅱ)  





黒川温泉・日本の秘湯温泉 「神明館」(橋向うが玄関)




神明館の名物の手彫り浴槽「洞窟風呂」





「日本一周の旅の記録」へリンクします
 

さて、黒川温泉のことですが、

案内所で品のいい女性に多々話を伺いながら案内書を頂いて、立寄り湯を戴くため「新明館」を紹介してもらい訪ねることにした。 
温泉地の風情を楽しみながら、ゆったり散策気分で歩くうち、向こうからカラフルな浴衣姿の芳紀な美女・・?三人がこちらに向かってキャアキャア笑いながらやって来る。

「おー、賑やかですね、・・ところで新明館ていう旅館は“こちら”でいいのかな・・?」
「ああ、はい、あたしたち、今、そこのお風呂に行ってきたところなの・・」
「へえ、あんた達、湯巡りですか?」
「はーい・・」
「ところで、新明館はどうでしたか?」
「最高・・!、洞窟風呂が良かったわ」
「おおっ、こりゃいい、あんた達東京からかい・?」
「んーん、近いわね、横浜なの」
「おや、おいら厚木だよ・・一人旅サ」


遠い旅先での気さくな会話が、路上で暫く続いて、・・・

「じゃあ、この先も楽しんでね・・バイバイ・・!」
「おじちゃんもね・・!!、バイバイ・・、」


おじちゃん・・ときた。 

湯上り美人というか何れも、そこそこの顔立ち、体つきで、胸の膨らみが妙に眩しく感じた。 

心の隙間に温かい風が吹き込んできて、チョット上機嫌になって温泉場へ向かった。 
いご坂」という妙な名前の細い路地の石段を下る、気の効いた造りの御茶屋が数件並ぶ。

下りきった所が「地蔵湯」という共同浴場で、瓦屋根が三段に施してある重厚な造りである。
この通りは下川端通りといって、黒川温泉街の中心的位置にあり、その名の通り、すぐ横を清流が水音も軽やかに流れている。


新明館は、この川を渡ったところに在った。 
こちらも黒ずくめの専用橋で、橋の中ほどに小休用の長腰掛が設けてあり心憎い演出である。 
正面が玄関になり、玄関枠をはじめ両脇の格子造りの窓枠も全て黒に統一してある。 
提灯がぶる下がっていて「日本秘湯を守る会」とあった。

この会は、全国の秘湯の連合会という組織を作っていて、全国に160箇所ほど加盟しているらしい。 
秘湯歩きの楽しみにスタンプ帳を発行し、加盟する宿に10軒宿泊すると加盟宿へ一泊無料招待するという仕組みである。
そして、全ての宿には例の提灯が、ぶる下がっているらしい。


早速、湯場を巡る、いずれも川端にある。 
先ず露天風呂へ・・、

広く湯ったりした風呂は自然の岩を刳り貫いたような作りで、その迫力には圧倒される。 
ほの暗く神秘的なムードが漂っていて、お湯は成分のせいか赤茶けているようだ、湯浴場の中ほどに東屋が設えてあり一層情緒を出している。 

余り、長湯はしてられない、次に洞窟風呂である。一旦、川端へ出た10数m先に在り、川向こうの道筋からは一時丸見え状態になるが、熟年の図々しさで委細かまわず腰に手拭い一つで向かう。

これがまた凄い・・!、
ちょっとやそっとの洞窟ではなく正真正銘の洞窟風呂である・・!、

中には連絡用の通路もあって、色々な場所で入浴することができる。
何といってもこの洞窟は、ここの宿の主人が永い歳月をかけコツコツと掘ったものであるらしい、いやはや恐れ入りました。 

湯は無色透明だが岩が茶色く変色するほど成分の濃い温泉で、源泉は100度近いとのこと。微かに硫化水素臭も感じられ、泉質的にも最高の湯である。
帰り際、受付のネエチャンが「女の方はいませんでしたか・・?」という、どうやらどちらも混浴だったらしい。 

先ほどの、芳紀三人女性と、この洞窟風呂で一緒に浸かりながら話ができたらナア・・、などと空想に耽る。
こちらの湯場は「日本の秘湯100選・全国の6位にも選ばれている」という・・、納得である。



さて、当館当主・「露天風呂の神様」と言われる「後藤哲也」氏である。
若い頃は時間があれば人気の温泉地や京都、軽井沢といった観光地を訪ね歩き、何故ここには人が集まるのか、自分の目、耳でじっくり確かめて回ったという。

そこで気づいたのは客がお金を払って泊まりにくるのは“癒しと寛ぎ”を求めるからと気がついたという。 
旅館の使命はストレスを解消し、自然という空間に身を置き、非日常的な時間の流れを思う存分開放されたいという気持ちではないかと。
そして“温泉風呂”は時空を超えて、心も体も最も癒される空間であるべきであると。

そこで後藤氏は日本一の露天風呂造りを決意する。 
23歳の若さで、敷地内の岩山を掘りぬいて客が感動するような幻想的な露天風呂を作ることに取り組む。以後、凡そ10年をかけて岩山を削り、現在の洞窟風呂を完成させたという。

更に京都の庭から独学で学んだ樹木の配置等にも気を配り、よりリラックスできる空間を演出した。 評判は口コミで広がり、後藤氏の勤める「新明館」はたちまちお客で溢れかえったという。


黒川温泉は後藤氏の取り組みをきっかけに、地域興しとしての温泉街全体が同様の取り組みを行い成功した顕著な例であろう。 
それは、周辺の豊かな自然環境、豊富な高温源泉を上手に利用し、情緒ある露天風呂に取り組むとともに、「入湯手形」という形を生み出し、温泉街全体が共生したことによるものであった。


次回は、「北里村

  
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2016-07-12(Tue)

平成日本紀行(127)南小国 「黒川温泉」



九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます
(この記事は震災以前のものです)



『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/




 平成日本紀行(127)南小国 「黒川温泉」   、




黒川温泉入口の案内板




https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/42/Kurokawa_Onsen_-%E6%B8%A9%E6%B3%89%E8%A1%97.jpg




https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c0/Kurokawa-onsen.jpg/800px-Kurokawa-onsen.jpg
自然を感じさせる露天風呂を全旅館に採用したことが人気を呼んだ



「日本一周の旅の記録」へリンクします
 

今や、全国人気No1と言われる黒川温泉も、克ってはそれなりの苦労が・・、

筑後川源流の一つ、田の原川に沿って進むと洒落た田舎つくりの茶屋があった。
そこに「夫婦滝」とカンバンがあり駐車場もあったので覗いてみた。
茶屋の裏側を辿ると薄暗い樹林に囲まれた田の原川に、二筋の渓流から左右に分かれた大小の滝が落ちていた。 

山歩き」を趣味の一つとしている小生にとっては珍しくも何とも無い滝であるが、縁結びの滝として知られ、若い男女が訪れるスポットにもなっているとか、国道のすぐ横にある好条件で、普通の観光客には喜ばれるのかもしれない。


この国道442は別名、日田往還・九州歴史街道と言われる。 
日田と竹田を結ぶ参勤交代の道で田の原や黒川はその中継地にあたり大名や旅人たちが温泉に浸かり、旅の疲れを癒し、一時の休息をとった地である。 
今は車がガンガン通る舗装された道であるが、所々に昔の面影が残っている。 

黒川から先の瀬の本高原までの道筋には、今も美しい松並木が所々に続く。 
松にきく虹の道」と、チョット意味不明だが地元の人は愛称で呼んでいるらしい。


鄙びた「田の原温泉」を過ぎると間もなく黒川温泉の入り口にきたようだ。その名の通り黒い看板に達筆な文字で「黒川温泉」と記してある。 
上流に到ってかなり小幅になっている田の原川の洒落た木橋を渡る頃には、温泉地らしい佇まいが感じられる。 

渓流の傾斜地、雑木林に隠れるように湯宿が点々と並ぶ山あいの温泉地である。 
風情を眺め楽しみながらゆっくり車を進めると左に温泉街の中心地であろうか旅館組合、休憩舎、駐車場があった。 
粋な造りの組合事務所に大きな色鮮やかに黒川温泉の絵地図が掲げてある。



今、この温泉地は女性(若い女性・・?)にとっては、全国でもナンバー・ワンの人気があると言われる。
ここには温泉街の歓楽的な煌びやかさは無い、緑や花に囲まれた趣向を凝らした特徴ある宿屋が離ればなれに点在しているのである。 
且つ、高温で良質な温泉がフンダンに湧き、この温泉を利用した独特な風情ある風呂、特に露天風呂には定評があると言う。 この各旅館の露天風呂巡りはテレビの旅番組や旅行雑誌には時折取り上げられ、話題になるの

である。そのきっかけとなったのが昭和後期に考案されたという“入湯手形”での湯巡りと言われる。
浴衣でのそぞろ歩きが似合う情緒ある街並みが、女性客に特に支持されている所以であろう。


因みに、九州では話題沸騰中で人気度トップはここ黒川温泉であり近年、一躍脚光を浴びマスメディアなどでも温泉ランキングで日本一に選ばれたりするようになった。 

JTB(旧日本交通公社)では全国でベスト3、人気温泉ランキング全国の3100余の温泉地から大手旅行会社をはじめとする“旅のプロ”が選んだ温泉ランキングベスト100では黒川が第6位にランクされている。 

又、黒川温泉観光旅館協同組合は「第13回優秀観光地つくり賞 日本観光協会会長賞」を授与している。黒川温泉の「景観性」、「地域密着性」、「独創性」などが高く評価されたという。

一昔前までは只の田舎の温泉地で寂れに寂れ、温泉街の存続さえ危ぶまれ、閑古鳥の啼く温泉地であったという。
一時、「やまなみハイウェイ」の開通で盛り上がりを見せたが、再び客足が遠のいてしまったとも。

その後、単独の旅館が栄えても温泉街の発展にはつながらないと考え一意専心、一躍奮起し温泉街の旅館、住民一体となった再興策も練られ、様々な案が浮かび上がり、試行錯誤と創意工夫によって創り出されたのが現在の“露天風呂と田舎情緒”を主題とした町造りであったと言う。


話は反れるが、町興しに関連して、北の果て北海道・旭川市、町の人の要望で「旭山動物園」が開園した。 始めは順調だったが次第にジリ貧になり、動物の流行病などでダメージを受け、終いには「市のお荷物」といった“不要論”が起き、市が民間委託をも検討していた。 こんな時期、所員たちは「動物の素晴らしさ、動物とふれあう楽しさを感じてもらい、人と自然とのかかわりに目を向けてもらうのが動物園の役割」という園長の思いを形にしたく、その後職員一同が奮起し、お客さんに動物を見てもらう為のアイディアを次々発案し実行してゆく。 
一般に動物の姿、形を見せることの「形態展示」から、旭山動物園では動物の行動や生活を見せる「行動展示」に力点をおいたそうで、実際に置かれている動物の園舎はどれもこれも、その動物に即した創作造作で一杯なった。 この取り組みが評判をよび、入園者数が次第に増加しはじめ、新しい飼育施設が完成するに及んで、更に人気を呼んで遂に、不動と言われた東京・「上野動物園」を抜いて日本一の月間入園者数を記録するまでになった。
実は、小生もこの旅に出る直前の5月の連休に拝見したばかりであったが・・、“人事を尽くして天命を待ち、後に光明を得る”を地でいくような「黒川温泉」と「旭山動物園」の共通項であった。


次回も「黒川温泉」(Ⅱ)

  
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2016-07-12(Tue)

平成日本紀行(127)南小国 「日本で最も美しい村」



九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)




 平成日本紀行(127)南小国 「日本で最も美しい村」 




http://art34.photozou.jp/pub/877/237877/photo/40807348.jpg
瀬の本高原付近




https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f8/Kurokawa_onsen_001.JPG
南小国町の黒川温泉





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大観峰を下った最初の街が「南小国町」である・・、 

外輪山系の水系を集めて、やがて九州一の河川となる筑後川の基部に当るのがこの町である。 
町といっても繁華街があるわけでもなく山懐に抱かれた閑静な町であり、一見、何の変哲もない人口5000人足らずでの日本国中、何処にでも在るような普通の街でもある。 

しかし、日本でも有数の自然観光地である雄大な阿蘇、九重の山麓に位置し、山里の静かな温泉等で訪れる人、宿泊客が年間27万5千人、一般観光客が100万人というビックタウンでもあり、今や九州で1、2を争う人気温泉地となっている。 
克っては、日田と竹田を結ぶ参勤交代の道の中継地で、大名や家臣達の疲れを癒す場でもあったという。


この町は、「日本で最も美しい村」連合というのに加盟しているらしい。 

この連合は北海道・美瑛町が主唱・提案し、全国に呼びかけて連合国ならぬ連合村を形成している。 
この連合の主たる目的は、素晴らしい地域資源を持ちながら、過疎にある美しい町や村が「日本で最も美しい村」連合を宣言することで、自らの地域に誇りを持ち、将来にわたって美しい地域づくりを行うこと・・としている。



連合に加盟するための条件は・・、

1 人口が、概ね1万人以下であること
2 人口密度が、1平方Km当たり50人以下であること
3 地域資源が2つ以上あること
4 連合が評価する地域資源を活かす活動があること



地域資源とは、景観-(生活の営みにより作られた景観)、環境-(豊かな自然や自然を活かした町や村の環境)、文化-(昔ながらの祭りや郷土文化、建築物)などをいう。 

活動とは美しい景観に配慮したまちづくりを行っていて、住民による工夫や地域活動を行い、地域特有の工芸品や生活様式を頑なに(かたくなに)守っていることである。

昨今、地方分権、地域振興が声高に叫ばれ、国からの財政負担が減少する中、上記の地域造り、町造りに関する事例として、一つのヒントにもなりそうである。

昨年(2004年)、南小国町と北部の隣町「小国町」との合併の是非を問う住民投票を実施した結果「賛成」・828票、「反対」・2407票、投票率 79.16%で否決されているという。 
小さな地域が国の方針に逆らい、自信を持って地元振興を成し遂げる姿がよい・・?。尤も、この町は好条件が整いすぎてはいるが・・!。 

ところで現在、「日本で最も美しい村」連合に加盟している地域は美瑛町(北海道) 赤井川村(北海道)、大蔵村(山形県)、白川村(岐阜県)、大鹿村(長野県)、上勝町(徳島県)、そして南小国町(熊本県)である。 
また、町内近隣の温泉郷は満願寺、田の原、小田、白川の各温泉と黒川温泉が在る。

今からこの地区に在って、全国区にもなった人気の「黒川温泉」を訪ねる。
北の隣町「小国町」から国道442号線へ回って田の原川沿いを行く。


次回は、人気の「黒川温泉

  
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2016-07-12(Tue)

平成日本紀行(127)南小国 「日田往還道」




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 平成日本紀行(127)南小国 「日田往還道」 









http://file.ryuudesu.blog.shinobi.jp/resize164301.jpg






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自然資源と地域振興を成し遂げる町・・、


バックミラーに映る阿蘇が次第に遠ざかる。

この街道、国道212号線は別名「日田往還道」と称し、古(いにしえ)の道でもある。
今、南小国町であるが、このまま小国町から杖立(杖立温泉)、大山川の清流を北上すると、その日田に出る。 

大分県日田は「日田市」という呼び名より、「天領日田」といった方が聞こえがいいらしい。


「日田」は周囲を1000m級の山々に囲まれた盆地で、山紫水明・「水郷ひた」として広く親しまれている。
歴史的には、安土桃山時代に豊臣秀吉の直轄地として栄え、その後、江戸期には天領として九州の政治・経済の中心的役割を果たし、それと同時に独自の町人文化も華ひらいた。

日田は全国に知られた木材・日田杉の町でもある。
筑後川上流の自然環境に恵まれた広大な林業地に日田杉が植林され、日田地方の主要産業でもある林業、木材業は日本の伝統的な木造建築を支えてきた。


因みに、「天領」とは江戸幕府直轄の土地のことで、日田は九州管内の6カ国の天領を統括し、幕府・代官所も置かれた所でもある。そのため九州の小京都と言われ政治・経済・文化の中心地として栄華を極め、日田への道路も整備された。

その日田往還は日田を中心に福岡、久留米、中津、別府、阿蘇・熊本方面などへのルートがあり、現在の九州における「国道の原型」にもなっているという。
往還は肥後・熊本藩主が参勤交代に利用した道で、熊本から小国を経由して大分県の鶴崎まで通じ、そこからは船で瀬戸内海を通ったという道でもある。

平成17年3月22日には、日田郡の前津江村、中津江村、上津江村、大山町及び天瀬町と合併し新「日田市」として発足している。

その中津江村は2002年の日韓FIFAワールドカップ開催前、アフリカのカメルーン国の関係者が「カメルーンの景色と似ている・・!」としてキャンプ地に指定、来日が遅れた事で更に注目を浴び、今や日本一有名な村として知られる。

カメルーン国・来村を記念して「思い出のカメルーン・中津江村」とネーミングした麦焼酎なども売られ、人気を博しているという。 現在は、日田市に編入されている。


次回、「日本で最も美しい村」

  
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2016-07-09(Sat)

平成日本紀行(126)阿蘇 「外輪山・大観峰」 



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 平成日本紀行(126)阿蘇 「外輪山・大観峰」   、





https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b2/Mt.Aso_and_caldera01.jpg/1024px-Mt.Aso_and_caldera01.jpg
大観峰の眺め




https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/00/Mount_Aso_kabuto-iwa_viewpoint.JPG/1024px-Mount_Aso_kabuto-iwa_viewpoint.JPG
正面が外輪山の大観峰、麓は内牧地方、




daikan






「日本一周の旅の記録」へリンクします
 

昭和天皇が阿蘇を訪れた或る時、係りの者が「あちらに見えますのが阿蘇でございます」と説明した。すると口癖の「あっ、そう」と答えられたという、それが計らずもギャグになり陛下も気が付いて思わず苦笑されたという・・!




再び、県道11号を走る。
はじめは市街地の道であるが次第に田園地帯になり、やがて、 森の中をヘアピンカーブで阿蘇外輪山を登り、登り切ったところに城山展望台が在った。 

先ほど来た道筋を目で追ってゆくと、阿蘇山にたどり着く、中岳の白い噴気が緩やかに風に靡いていて実に望洋たる風景である。 
大草原の道・県道11号は、その名も「やまなみハイウェイ」といって大分県の九重・飯田高原から湯布院、別府へ到る。 強いて言えば熊本から阿蘇を経由する一大観光高原ルートなのである。


小生は此れより外輪山の大観峰から今人気の黒川温泉へ向かうこととする。
この旅の目的は日本海道一周であったはずである・・?、
その通りであるが、何故内陸へ・・?、

実はこれより別府へ向かって、そこで3~4日別府の温泉で旅の疲れを癒し逗留をするつもりなのである。 

又、他の理由もあって、数日後に(6月10日)妻及び娘家族と鹿児島で落ち合い合流するつもりなのである、その為の日数調整でもある。



先へ進もう・・、
草原の中の道が“これでもか”・・、というくらい続く。 
しばらくして「やまなみハイウェイ」の県道11号・ 別府一の宮線とは分かれて左へ進むようになる。 

幾つかの牧場を通り過ぎる、所謂、牧歌的風景とはこんな所を指すのだろう、ドライブ好きにとっては、まさに「生き天国」のような道である。 
爽風を感じながら鼻歌気分で、走っている内に「大観峰」へ着いたようだ。


山頂にはかなり大きな駐車場が在り、阿蘇でも人気、有名スポットであることが判る。 
横には立派な売店も用意されていて、この先にピークの展望地が設えてあった。 

大観峰からの眺めは余りにも有名で、先ず、何と言っても世界一といわれるカルデラの真中に悠然と横たわる阿蘇五岳の姿であろう。 
その雄大さは、お釈迦様の涅槃の時の寝姿を思わせるところから、涅槃像(ねはんぞう)とも呼ばれている。 

確かに、東側を頭に仰向けに寝ているようである。 
顔の部分が東に位置する根子岳で、首の部分が日ノ尾峠と凹み、胸が最高峰の高岳、中岳と並び、膝のところが烏帽子岳あたりに相当するのではないか・・、と勝手に想像しているが。

直下には、田園の中に阿蘇で最大の温泉地・内牧温泉郷が望める。 
夏目漱石や与謝野鉄幹・晶子夫婦もここに投宿したという昔からの温泉地で、設備の整った大型ホテルや旅館など大小の宿が30軒余りある。

泉質は含石膏芒硝泉で、神経痛・リュウマチ・創傷に効能があるそうで公衆浴場も9軒余りあり、入浴料もだいたい100~400円程度で良心的なのが良いと。 
阿蘇周遊の途中に立ち寄るのに良さそうだである、この地から国道212号が曲折を繰り返しながら大観峰まで達している。振り返ると九重の連山も一望できる。 


その雄大な眺めに感動した文豪・徳富蘇峰(熊本を代表する文豪、歴史家、言論人で、太平洋戦争では開戦論者として民衆を鼓舞し開戦へ導いたとも言われる。弟は作家・徳富蘆花)が「大観峰」と名付けたと言われる。 

余分であるが、「大観峰」というのは同意同語で北アルプスの一角、後立山連峰と黒部湖の大パノラマを眺望する、所謂、「黒部立山アルペンルート」のルートの一角にも在ったが。
眺望を意のままにして大観峰から去る。



阿蘇外輪山を下りながら思い出したことがある。 
昭和天皇が阿蘇を訪れたとき、「あれが、阿蘇です」と説明したところ、「あ、そう」と答えた逸話がある。

昭和20年8月、日本が終戦を迎え、国民は失意のどん底に居て、明日への気力を亡くしていながらも米軍はなぜ広島と長崎に原子爆弾を落としたのか、ソ連は何故急に日本に参戦したのか等々冷静に観察しながらも、一方では全国の町村役場では執務が続けられ、交番が普通に機能し、治安は維持され更に、鉄道は時刻表にしたがって運行していたという。 

国土が目茶目茶になって国民、一般人は思考は尋常ではなく、ある種の空白が生じていた。
しかし、日本人の生活意識はしっかりしていたらしく、そのことは世界の常識から見れば驚くべきことであったらしい。


こんな混乱の時期、天皇陛下は戦後の復興のために働いている日本国民を励ますため、日本全国の津々浦々を巡幸し遊ばされたのである。

余談だが、岐阜・高山では人口三万の市に、陛下をお迎えする人々が近隣の村々から18万人もの人々が前の晩から押し寄せ、旅館が無いので市長は映画館を終夜開放斡旋したという話もある。 
又、小生幼少の頃(現、福島県いわき市湯本)、お召し列車(天皇の巡幸列車)が常磐線の湯本駅に到着した際、日の丸の小旗でお迎えし、尚且つ、陛下は親父の勤務していた会社「品川白煉瓦」を訪問され、その時の記念写真を見せてもらった記憶もある。 

そんな中、陛下の九州巡幸は昭和24年の5~6月にかけて27日間に及んだという。


一般に天皇は何か説明を受けると「あ、そう」と連発することで有名であったらしい。 
陛下が阿蘇を訪れた或る時、係りの者が「あちらに見えますのが阿蘇でございます」と説明した、すると口癖の「あっ、そう」と答えられたという。 
それが計らずもギャグになり、陛下も気がついて思わず苦笑されたという。 

陛下が阿蘇に来られて、何時、何処で、このギャグをとばしたかは定かでないが、県道11号線のやまなみハイウェイの阿蘇外輪山の「山城展望所」へ御立ちになったことは確かであるという。

又、「あの草は何というのか」と御下問されたときに、「陛下、あれはただの雑草です」と答えたという、そしてその人物に向って「雑草という名の植物はない」と窘(たしな)められたともいう。

因みに昭和天皇は生物学者でもある。 
植物や海洋生物の研究にも力を注ぎ、植物学では那須周辺や皇居、伊豆の植物群の研究、海洋生物では特に相模湾のヒドロ虫類(クラゲやサンゴ、イソギンチャクの仲間)に造詣が深く、皇居内に生物学御研究所が建設されているほどである。 

昭和4年、粘菌研究(枯れ木・枯れ葉などの表面にアメーバ状生物:原生動物)の第一人者である南方熊楠より進講を受けられ、粘菌研究でも一流といわれる。 
これまで単独、或いは共同研究で多数の研究書籍を出版・発行している。


次回は、「南小国町

  
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