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2016-03-14(Mon)

17、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の政治とバランス感覚」 






  17、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の政治とバランス感覚」  




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政治と美的感覚の不思議なバランス

海面に社殿を浮かべるというアイデアは、まったく奇想天外ではあり、忠盛の時代から日宋貿易を積極的に推進し栄えてきた「海の平家」にふさわしいものといえる。

このアイデアを思いついたとき、完成後の社殿の姿を、清盛がどのくらい正確にイメージしていたのかは不明だが、おそらく彼自身が驚嘆するくらいの出来栄えだったに違いない。  

もし、清盛がただ乱暴なだけの政治家であったなら、このような格調高く華麗な建築を作り出せたであろうか、此処には威圧するような押しつけがましさはなく、均整のとれた美があり、自然との調和があるのです。

これがあの入道相国と言われる清盛の発案かと思えるほどであり、あれほど精力的な政治活動をしながら、一方でこのような歴史的文化事業を成し遂げる、そのバランス感覚には感服するほかはないであろう。
 
また後年、※ 清盛が奈良を焼き討ち にしたことから、清盛は信仰心のない人間であると思われているようだが、そのような悪世評も否定すべきものといえるでしょうし、清盛の厳島に対する思い入れは、まさに“熱狂的”といってもよい程のものがあり、平家の精神的支柱として一門をあげて尊崇していたのである。


※ 清盛が奈良を焼き討ち 

因みに、平安期の頃は平安仏教(比叡山・延暦寺)と奈良平城の南都六宗(なんとろくしゅう/・りくしゅう)とは常に対立関係にあった。

ある時、奈良の僧兵を懲らしめようと、平重衡が周辺の民家近くで「かがり火を焚け」という意味で「火を出せ」と言ったのを、部下が「放火せよ」と誤解して、あたりの民家に火を付けてしまい、この火が折からの風にあおられ燃え広がったことから、東大寺・興福寺をはじめ多数の寺院が焼失するという、日本仏教史上未曾有の大事件となったものです。 
これは清盛にとっても予想外のことで、ここで「仏敵」の名をとったことが、平家政権には致命的な打撃となりました。

(このへんの「平家物語」の描写は非常に具体的で、関係者の供述調書等なんらかの公的記録文書を参照している模様とされています)


次回、 「清盛と平家納経」





  
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2016-03-13(Sun)

16、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の美の傑作・厳島神社」 






 16、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の美の傑作・厳島神社」 





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清盛による美の傑作「厳島神社」

清盛の美の傑作・安芸の厳島神社は、そのアイデアといい、美しさといい、まさに日本の宝といえます。

現在、中国地方でも有数の観光地として知られる宮島は日本三景の一つにも数えられ、平成八年には厳島神社が世界遺産に登録されています。

古くは「伊都岐島」とも呼ばれ、推古天皇(飛鳥時代の元年)の時代に造られて以来、鎮護国家の祠、安芸国第一の霊社として多くの人々の尊崇を受けてきた。

その後の平安時代の末期、平家一門と厳島神社との関係は、清盛が安芸守だった頃からだと言われています。
平家物語には、清盛が勅命で高野山の大塔を修理した際、老僧が現れて「荒れ果てた厳島を修理して下されば、官位は肩を並べる人がないまでになります」と告げたので、清盛はこの老僧を弘法大師と信じて厳島の再興に尽力した、と語られています。
 

仁安二年(1167年)、太政大臣を辞任した清盛は、翌年に出家、風光明媚な福原に別荘を造営しました。
そして、厳島神社の造営も福原の整備とほぼ並行して行われたのです。

清盛は厳島神社の神主で家人でもある佐伯景弘を通して「華麗にして荘厳な社殿の造営」を朝廷に求めたのです。

承安四年(1174年)には後白河法皇が、寵姫・滋子(清盛の妻・時子の姉)とともに参詣しており、高倉天皇も譲位後初めての参詣を厳島で遂げています。

その際、随行した公卿達は慣れない船旅に不平を言いながらも、実際に厳島を眺めると、その美しさに目を見張ったといいます。


次回、「清盛の政治とバランス感覚」

  
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2016-03-12(Sat)

15、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と清盛の時代感覚」





  15、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と清盛の時代感覚」  





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平安時代の貴族とは、一風変わった清盛の美的感覚、

“猛き者もついには滅びぬ”、平家物語で平清盛を語るとき、武士として又は政治家としての清盛にスポットが当てられることが多いようです。

一般的に歴史イコール政治史になってしまうので、それもやむを得ないのかも知れませんが、人間としての平清盛を語るには、これでは不十分といえます。

其れは清盛はその生涯の中で、単なる“時代の掟破り”の独裁者では成し得なかったであろう、偉大な文化的業績を残しているからです。

平家・清盛はほんの20年ほどの栄華でしたが、そのわずかの間に、平家文化ともいえるものを現出させ、それが今日に伝えられているというのは不思議な感じもするのです。 これらは古い慣習や偏見にとらわれない清盛の非凡さと美的感覚から生み出されたと言ってもよいでしょう。

因みに、平家の時代と言うのは平治の乱の勝利(1159年)から壇ノ浦での滅亡(1185年)まで26年間、または平清盛太政大臣就任(1167年)から平家都落ち(1183年)まで16年間、ほかにもいくつかの考え方があると思いますが、いずれにしても20年程度です。 
短いですよね。


一切経を書いた石を沈めて島の基礎とした「経が島」(日宋貿易の拠点である大輪田泊、当時の摂津国に交易の拡大と風雨による波浪を避ける目的で築造された人工島)の改修を行いました。
つまり、船を風から守ろうとしたもので、この島が「経ヶ島」(経の島)とも呼ばれています。
その広さは平家物語によると、「一里三十六町」とあることから、現代の大きさで37ヘクタールほどと推定されています。 

工事は六甲山系の山を切り崩した土で海を埋め立てたが、それが難航したために迷信を信じる貴族たちが海神の怒りを鎮めるために人身御供をしたとも言われています。
又、清盛は石の一つ一つに一切経を書いて埋め立てたともいい、従って、この島を「経が島」と呼ぶようになったという。

ただし、実際の工事は清盛生存中には完成せず、最終的な完成は平家政権滅亡後に工事の再開を許された東大寺の重源によって建久年間に完成したとされています。
尚、現在では、度重なる地形変化等により場所が特定できず、凡そ、神戸市兵庫区の阪神高速3号神戸線以南・JR西日本和田岬線以東の地であるとみられている。

同時に、清盛は国家的事業として大輪田泊の大規模な整備を計画しましたが、源平争乱によりほとんど実行されなかったと思われます。


次回、「清盛の美の傑作・厳島神社」

  
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2016-03-11(Fri)

14、世界遺産;厳島神社の概説 「付記;毛利元就の厳島の合戦」





14、世界遺産;厳島神社の概説 「付記;毛利元就の厳島の合戦」




http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/photos/kassenzu/itukusima2.jpg




http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/74/Miyao_castle_honmaru.JPG/800px-Miyao_castle_honmaru.JPG
宮尾城(要害山、現在は五重塔と千畳閣のあるところ)






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付記;毛利元就の厳島の合戦

平平安時代の末期、清盛の時代から遥か後、戦国時代における毛利元就はここ厳島にて陶晴賢(すえはるかた)と合戦し圧勝します。 有名な1555年「厳島の戦い」です。

陶晴賢は当時この地方を支配していて主君の大内義隆氏を討ち、権力をほしいままにしていました。 毛利元就は、はじめ陶晴賢に従うそぶりを見せるも、やがて絶縁します。
水運の要所である厳島に陣を置く毛利方、そこへ陶の船団が押し寄せます。

陶方はいったんは毛利方の宮尾城(要害山)を包囲したものの、暴風雨の中をわたってきた毛利元就の本体、また小早川隆景の別動隊に攻められ、陶晴賢は敗れて自刃します。
毛利4千対陶2万という戦力差にもかかわらず毛利勢が圧勝するのです。
この戦いの結果、大内氏は急速に弱体化し、代わって毛利氏がその旧領を併合(防長併合)することになります。

そして弘治3年(1557年)には晴賢によって擁立されていた大内義長(大友宗麟の異母弟で義隆の甥、一時義隆の養子となっていた)が自害し、大名としての室町時代に君臨していた大内氏は滅亡に至ったのです。

この厳島の戦いでの勝利が、以降、毛利氏が中国支配に乗り出していくきっかけとなりました。



しかし、この毛利元就が陶晴賢を破った「厳島の戦い」ですが、なぜ戦場を厳島に選んだのでしょうか・・?、
陶の大軍をおびき寄せるのには厳島が適してはいるが、当時の厳島は神聖な土地だったはずであり、ここで戦えば神聖な土地を血で汚すことになるのが明らかです。
にもかかわらず厳島を戦場にするという罰当たりなことが行われたのは何か・・?、

一般に、神仏の信仰と言うのは、時代によって変化のあるものです。 特に、戦乱の時代と言うのは信仰どころではなかったのでしょう。 それに毛利元就は心底から神仏を拝む気持ちはなかったからではないでしょうか・・?。

人心掌握の為には時には神仏を利用しますが、元就は本気で神聖な場所とも、罰当たりの場所とも思ってはいなかったのではないかとも推測されます。
さもなければ、毛利元就は厳島は神聖な土地というの承知で、敢えて逆用したのかもしれません。


一般的に言えることは、一部の名将はこういった人の信心の深さを利用して、士気を上げるのに神を利用する例が見受けられますされます。
後年、自ら神と称した織田信長も桶狭間の時には熱田神宮で吉兆をネタに士気を上げています。  

だが一方では、信長にしても神聖な場所であるはずの比叡山や石山本願寺を、理由はどうあれ仏敵として攻め滅ぼしています。


次回、平清盛の美意識、

  
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2016-03-10(Thu)

13、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と平家納経」 





  13、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と平家納経」  



http://www.nishida-s.com/main/categ4/miyajima/miyajima.files/miyajima-heikenoukyou-yakuou.JPG


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平家納経とは、 

平家納経とは、平安時代に平家一門がその繁栄を願い、厳島神社に奉納した経典類の総称で、平家一門が奉納した巻物として有名です。
清盛はじめ嫡子重盛、弟経盛、教盛、頼盛など一門の一人が一巻を担当して写経したもので、それを平家繁栄を祈って厳島神社に奉納したものです。 当時は金ピカリンの巻物であり、当時の平家の繁栄っぷりをよくあらわしていたとされています。
法華経30巻、阿弥陀経1巻、般若心経1巻、平清盛自筆の願文1巻と、経箱・唐櫃からなり、経典に施された装飾は絢爛豪華で、平家の栄華を今に伝えているのです。 平安時代の装飾経の代表作で、当時の工芸を現代に伝える一級史料とも言われています。


経典を筆写したのは平家の一族で、清盛・重盛・頼盛・教盛などであり、それぞれ一巻を分担する形で筆写したとされています。 その後、長寛2年(1164年)に厳島神社に奉納されたが、各巻の奥書を参照すると、全体の完成には仁安2年(1167年)までかかったことが判るそうです。

全点が昭和29年(1954年)、国宝に指定された。現在厳島神社が所蔵しており、複製が厳島神社宝物館で公開されている。



仏教経典である平家納経が何故、神社に奉納されたのか・・?。

清盛の時代は既に神仏習合でしかもほぼ神社の多くは寺の管理下にありました。
元より、自然崇拝を主にしていた神道には理論武装した仏教の侵略を止めることが出来なかったとしています。 その結果仏教に取り込まれる形になってしまい、神道の神々も本地垂迹として仏の化身という解釈になったのです。 ですから多くの神社では読経を行うことも本尊として仏を祭ることも普通にされていたわけです。


平民でも神社に祈願に行き、読経をするということがよくあったそうです。
日照りの時、弁財天社(これも仏教が影響する神社)に籠もり読経を続けて雨が降ったという地方の逸話もあります。

一説では厳島神社は中国貿易のため、中国の観音信仰の聖地-普陀山(普陀落山)を模したとも言われています。 つまり貿易船が出航の時に無事を願い、帰航したときに無事を感謝する目印でもあったとしています。
これに倣って造られたのが厳島神社だとしています。

そのため本尊は宗像三神・弁財天・観世音菩薩でした。 この観音像は普陀山から伝わったとも言われています。
(この事は後ほど詳しく述べます)


次回、 「付記;毛利元就の厳島の合戦」

  
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2016-03-09(Wed)

12、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と宗像三神」 





  12、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と宗像三神」  




http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/76/Challenge_of_Amaterashu_and_Susanoo.svg/414px-Challenge_of_Amaterashu_and_Susanoo.svg.png


http://blog-imgs-69.fc2.com/t/a/k/takao15/blog_import_53e629a74c43d.jpg




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厳島神社は推古天皇の元年593年、佐伯鞍職(さえきのくらもと)という人物によっ、先ずは創建されました。

祭神としては、
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、
田心姫命(たごりひめのみこと)、
湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三女神を祀ります。

「厳島」という名前は「けがれを避け神に仕える」という意味の「斉(いつ)く」という語に由来するとされているそうです。
厳島神社のある厳島(いつくしま)の語源は動詞としては、斎(いつ)くと関係があり、「神を斎(いつ)く祭る島」が語源とされています。 斎(いつ)くは、心身の汚れを去り神に仕えると言う意味にもなります。
また、厳島神社の祭神である、市杵島姫命(いちきしまひめのみことイチキシマヒメノミコト)の名に由来するという説もあります。


市杵島姫命は、元々、斎き島(いつきしま)とされ、神の島を意味し、神に斎(いつ)く島の女性としています。
その性質としては、水を司るとされており、後に習合することとなる仏教の守護神、弁財天も、インドのガンジス河の神であることから、何れも水に関わる意味を持つため、国内でも主に、水辺の近い場所に祀られることが多いといわれます。

また、市杵島姫命は「七福神」の一員として宝船に乗り、弁財天と同一視される縁起物にもなっていますが、其の弁財天の性質も多く引き継いでおり、「才」を「財」とみなす財宝神の役割や河の流れが奏でる音から音楽を司る神とされ、この事から芸事にも優れた意味を持つようになったと考えられています。
また、川が農作物を育てることから農業の神としての性質を持ち合わせている


更には、宗像三女の中でもとりわけ美女だったとされることから、美を司るなど非常に多岐に渡り、全体として福を司るとされ、つまり七福神の一つにも数えられているようです。


因みに、伝承の古事記においては、天照大神が須佐之男命(すさのを)を生んだとされており、須佐之男命の子が宗像三女神としている。

降臨の地は、福岡県の宗像地方東端の六ヶ岳という山であるとされ、天照大神が国つくりの前に宗像三神に「宗像地方から朝鮮半島や支那大陸へつながる海の道は降って、歴代の天皇をお助けすると共に歴代の天皇から篤いお祭りを受けられよ」と示したことから、三女神は現在のそれぞれの地に降臨し、祀されるようになったといわれています。

島の名称として「厳嶋大明神」のように平安時代からの用いられていたようです。


次回、「厳島神社と平家納経」

  
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11、世界遺産;厳島神社の概説 「平家一門と厳島神社」 





 11、世界遺産;厳島神社の概説 「平家一門と厳島神社」 




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平家一門と厳島神社

安芸の宮島、厳島神社は世界遺産に指定され、今日も多くの観光客を集めています。

もみじ饅頭、そこらじゅうで目にする宮島鹿、またカキ(牡蠣)も美味しくて最高です。 ですが、やはり一番は海にデーンとそびえる朱塗りの大鳥居や華麗なる社殿、回廊など、あの荘厳なたたずまいにはロマンを感じずにはいられないところです。


「平家物語」には清盛が実際に厳島神社の回廊を歩く場面は無いんですが、やはり清盛があの決まった入道姿で一門をひきつれて、肩で潮風を切ってズシッ、ズシッと歩いてたと想像も出来ます。



そもそも清盛が厳島神社の信仰をはじめたのは、平安末期の1146年に安芸の守に就任した時にさかのぼります。 就任中に清盛が厳島信仰に目覚めるキッカケがあったようで、其処には平家物語には詳しくそのいきさつが語られています。

清盛は安芸守の再任を願って高野山の大塔を造営した時、清盛の眼前に老僧(奥院の阿闍梨と名乗る)が現れ、「(厳島は荒れ果てているので)早く厳島神社に奉仕せよ」と述べ、清盛が厳島に参詣したら、巫女から従一位太政大臣になるだろうと告げられ、そ果たしてその予言どおりになったといわえています。

清盛はこの老僧を厳島明神の化神と考え、巨費を投じで厳島神社の造営を行ったというものです。 この逸話の真偽はともかくとして、平家一門が厳島神社に奉納した「平家納経」の中でも、清盛直筆による「願文」には、夢に一沙門(僧侶)が現れて、「厳島を信じれば必ず功徳が得られる」と告げられたことが記されているといいます。

いずれにしても清盛が厳島神社を崇めるようになったのは、この神秘体験がキッカケだったといえそうです


また平家一門は氏神というべき神社がなかったこと、厳島は古代から瀬戸内の民の信仰を集めており、かつては航海の守護神であったということと、その清盛が瀬戸内海を影響下に置くや宋との交易の振興を宿願としていたこともあり、清盛は厳島神社を氏神として崇敬するようになり、厳島神社も平家の帰依によって発展することになったのです。


次回、「厳島神社と宗像三神」

  
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11、世界遺産;厳島神社の概説 「平家一門と厳島神社」 





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安芸の宮島、厳島神社は世界遺産に指定され、今日も多くの観光客を集めています。

もみじ饅頭、そこらじゅうで目にする宮島鹿、またカキ(牡蠣)も美味しくて最高です。 ですが、やはり一番は海にデーンとそびえる朱塗りの大鳥居や華麗なる社殿、回廊など、あの荘厳なたたずまいにはロマンを感じずにはいられないところです。


「平家物語」には清盛が実際に厳島神社の回廊を歩く場面は無いんですが、やはり清盛があの決まった入道姿で一門をひきつれて、肩で潮風を切ってズシッ、ズシッと歩いてたと想像も出来ます。



そもそも清盛が厳島神社の信仰をはじめたのは、平安末期の1146年に安芸の守に就任した時にさかのぼります。 就任中に清盛が厳島信仰に目覚めるキッカケがあったようで、其処には平家物語には詳しくそのいきさつが語られています。

清盛は安芸守の再任を願って高野山の大塔を造営した時、清盛の眼前に老僧(奥院の阿闍梨と名乗る)が現れ、「(厳島は荒れ果てているので)早く厳島神社に奉仕せよ」と述べ、清盛が厳島に参詣したら、巫女から従一位太政大臣になるだろうと告げられ、そ果たしてその予言どおりになったといわえています。

清盛はこの老僧を厳島明神の化神と考え、巨費を投じで厳島神社の造営を行ったというものです。 この逸話の真偽はともかくとして、平家一門が厳島神社に奉納した「平家納経」の中でも、清盛直筆による「願文」には、夢に一沙門(僧侶)が現れて、「厳島を信じれば必ず功徳が得られる」と告げられたことが記されているといいます。

いずれにしても清盛が厳島神社を崇めるようになったのは、この神秘体験がキッカケだったといえそうです


また平家一門は氏神というべき神社がなかったこと、厳島は古代から瀬戸内の民の信仰を集めており、かつては航海の守護神であったということと、その清盛が瀬戸内海を影響下に置くや宋との交易の振興を宿願としていたこともあり、清盛は厳島神社を氏神として崇敬するようになり、厳島神社も平家の帰依によって発展することになったのです。


次回、「厳島神社と宗像三神」

  
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2016-03-07(Mon)

10、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社の由来」 





 10、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社の由来」 




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http://k-kabegami.com/miyajima/13.jpg




厳島神社の由来

嚴島神社の創建は、推古元年(飛鳥時代の593年)、佐伯鞍職によると伝えられます。
平安時代後期の仁安3年(1168年)には、子孫の佐伯景弘が嚴島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営されます。

本殿以下37棟の本宮(内宮)と、対岸の地御前に19棟の外宮が設けられ、全て完成するまでに数年が費やされたといわれます。 社運は平家一門の権勢が増大していくにつれ高まり、その名を世に広く知られるようになりました。


清盛は高野山の大塔を修理するよう鳥羽院から命じられていました。 そして、何年もかけて修理がおわり、感無量で清盛は弘法大師の廟の前で手をあわせていました。
そこへ、ひょっこひょこと年老いた僧が近づいてきます。 白髪頭でしわくちゃです。 清盛が祈ってると、横から話しかけます。 
「次はあんた、厳島神社を修理なさい」、「だいぶ荒れ果てているよ厳島神社は、ゼヒ修理なさい。そうすれば平家の未来は安泰だよ・・!!」
そんなこと言いながら、年老いた僧は見えなくなりました。

ありがたくも弘法大師のお告げに違いない、以後平家は厳島神社を信仰するようになったのです。

とにかく平家は日宋貿易ということで、瀬戸内海で中国と貿易を行なっていました。
その関係もあり、海上交通の守り神として厳島神社を信仰したとされています。


現在の厳島神社と言えば、誰もがイメージするのが朱塗りの大鳥居でり、海に張り出した社殿と回廊は平安時代の寝殿造りの様式を海の上にあらわすという発想に基づき、清盛と当時の神主・佐伯景弘(さえきかげひろ)が修築させたものです。


次回、平家一門と厳島神社





  
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2016-03-06(Sun)

9、世界遺産;宮島と厳島神社 「厳島神社参道と名物、御土産」 






 9、世界遺産;宮島と厳島神社 「厳島神社参道と名物、御土産」 



http://www.nta.co.jp/omc/tokusyuu/hij/miyajima-map.gif
 宮島MAP

http://hit4.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_80b/hit4/E897A4E38184E5B18B.jpg?c=a38
神社社宮へ続く、御土産屋参道




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宮島桟橋から厳島神社へは表参道商店街が連なっています。 

ここは宮島観光のおもなコースで、通常は参道を抜け、神社にお参りして帰るというコースになります。
時間に余裕があれば紅葉谷公園を抜けロープウェーに乗って弥山に登るのもおすすめです。

また、周囲の神社を巡ったり、興味があれば水族館を訪れたりする楽しみ方もあります。
お土産は、帰りに参道で買うのが良いでしょう。


以前はたくさん鹿がいて、用心しないと食べ物を奪われてしまうような状態でしたが、かなり少なくなったと言われます。 宮島観光は四季折々の美しさが味わえる処ですが、ゆったりとした日常を忘れたひと時を、宮島観光で味わうなかで食事は重要です。 

又、宮島観光の名物、お土産には、広島名物のカキ、穴子、そして紅葉饅頭を味わいます
宮島と言えば焼きガキと言われるように、海のミルクと言われているのが牡蠣で、冬には極上の旨みを味わう事が出来ます。 定番のカキフライは勿論、厳島神社に向かう参道では夏場でもそのままダイナミックに焼いた逸品「焼きガキ」を食べることができます。


広島と言えば思いつくのが、やはり、お好み焼きですが宮島でも食べることができます。
広島風はしっかりと中華麺を入れるのが拘りであり、好みに合わせて、チーズなどのトッピングを楽しむ事が出来ます。 熱々のうちにソースとマヨネーズを付けて味わうのは、正に極上の幸せ。 お店によって、様々な味が楽しめるので、時間がある方は梯子を楽しむ事もお勧めです。

そして、隠れた逸品が「あなごめし」、丼に大量に載ったあなごは宮島ならではで、穴子めしを扱うお店は多くあります。 熱々の内に頬張ると、スタミナ満点、旅の疲れも吹き飛ぶ美味しさです。

また宮島土産と言えば、紅葉饅頭が有りますよね。
もみじ饅頭は、広島土産としても定番ですが、宮島の紅葉谷公園の紅葉をヒントに岩惣の女将の依頼により作られたものだそうです。 
所謂、元祖もみじ饅頭、以前は濾し餡とつぶ餡しかありませんでしたが、今は色々なクリームが入った物も売られています。
又、「揚げもみじ」、揚げもみじ饅頭も宮島以外では見かけませんので、おすすめしておきます。
小生は、宮島名物「紅葉饅頭」を自己土産に買いました。


次回、厳島神社の概要

  
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