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2016-04-12(Tue)

33、 安芸の宮島・厳島神社の魅力と分社、 




  33、 安芸の宮島・厳島神社の魅力と分社、  





https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/52/Kiyomori-jinja.jpeg/800px-Kiyomori-jinja.jpeg
末社・清盛神社



https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c6/Omoto_Shrine_%28Miyajima%29_-_DSC02291.JPG/800px-Omoto_Shrine_%28Miyajima%29_-_DSC02291.JPG
末社・大元神社



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 厳島神社の魅力とは・・?

宮島は瀬戸内海の入り口付近にある島で、瀬戸内海は満潮時と干潮時の潮位の差が大きいそうです。
満潮時には回廊の下に海水が来るし、それにしても厳島神社は、計算されたデザインだなっています。


大鳥居の表、裏の扁額の社名だけでも、厳島神社の歴史を垣間見ることが出来ます。
厳島神社を訪れた際には、特に大潮の干潮時に大鳥居の下まで行き、自分の目で確かめてみてはいかがでしょうか。


本社と本殿があって、拝殿がある。
平舞台があって、その中に高舞台がある。
よく見ると高舞台には手すりがついていません。  
従って、ステージみたいな風になっているんですね。

それから東と西に回廊が伸びていて、チョット遠回りするような感じで神社本殿やその前には拝殿が鎮座しています。


因みに、本殿や社殿というのは、神社の境内にある建物を総称していう言葉であり、本殿とは、そのうち御神体や祭神がまつられている中心的な建物を指します。社殿には、本殿のほか、拝殿(はいでん)や幣殿(へいでん)、御饌殿(みけでん)、祓
殿(はらえでん)、神楽殿(かぐらでん)など、その神社の規模によって様々な建物がありますが、どんなに小さくても本殿と拝殿はどんな小さな神社でも殆どの社にあります。

そして、本社と言うのは総本社ともいい、全国各地に本社より勧請された支社や分社、末社、摂社、枝宮、其れに地域や村にある里宮(郷社)、氏神様など、本社の祭神を他所で祀る際、その神の神霊を分けた神社のものを指します。
即ち、安芸の宮島の厳島神社は、全国にある厳島神社や其の系統の神社の本社と言う事になります。

そして、宮島島内にも末社が金刀比羅神社、清盛神社、豊国神社、今伊勢神社などが鎮座しています。


其れに、厳島神社は海の中に建っているわけで、特別な建て方をしているのかと思えば、そうでもないようです。 
構造は陸上と同じであり、地面に礎石という石を置いて、その上に柱を立てているそうです。

つまり、厳島神社の素晴らしさはその立地場所にあり、そして、背後の緑色、神社の朱色と白色、海の青色と目にも鮮やかで、この色合いこそが最も人々を魅了するものなんですね。


次回、「厳島神社と五重塔の関係・・?、」

  
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2016-04-11(Mon)

2、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(5) 





  32、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(5)  





http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/72/9cb8bb7f328507f949ab275be562ad98.jpg
大鳥居の継ぎ目の部分




http://www.miyajima-wch.jp/common/img/itsukushima/torii07t.jpg
出典; http://www.miyajima-wch.jp/jp/itsukushima/column.html


https://encrypted-tbn1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSXxEC389gO3P5_jYCbMmstk1MgArRL0KlOGSJpUjk6C1ejvzM



https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcQ58oRqQD3l16Znfef1nFF6NrKFIyyq4ZgX4SofQUQWW9QlOR9yLw
笠木の両端にある太陽と月、





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大鳥居の困ったエピソード、

前回に大鳥居の柱の構造について記載したが、其の大鳥居の主柱は、腐りにくく虫に強いクスノキが使われています。

此れは昭和25年、水に浸かる柱の下部を新しいクスノキに取り替えるときのことでした。 
余りににも木が太く巨大なため、載せた貨物船がトンネル入口で立ち往生し、木をぎりぎりまで削ってやっと運んだということがあったそうです。
また、次代の修繕のときには宮島産のクスノキを使うことを望みながら、その都度、住人たちによって植林されているそうです。

ところで、観光客に絶対にやめてほしいのが、大鳥居の柱などのすき間に10円玉や5円玉などの硬貨を、写真のようにクスノキの割れ目の間に差し込む行為であります。 

間違ったエピソードや俗信が伝わり、禁止されているにもかかわらず、やる人が後を絶他ないと云われます。

この行為は世界遺産を傷つける行為と一緒であり、又、大鳥居の老朽化が進む恐れがあり、補修しながら維持していることを考えてほしいですね。



厳島神社の大鳥居の歴史、月と太陽、

現在の大鳥居は、1875年(明治8年)に再建されたといわれ、この大鳥居は当初は平安時代に造られ、現在までで「八回」も造り替えているそうです。

大鳥居の「笠木(大棟)」の両端には「月」と「太陽」の紋章が描かれているのです。 

此のことは、実は厳島神社の大鳥居の「笠木(大棟)」の両端には、社殿からみて右側(東側)には、「太陽の紋章」が刻まれています。 

また、逆に、西側(左側)には、「月の紋章」があります。
これは、陰陽道の理(ことわり、道理、秩序、理法、)を指し示すとも云われているのです。



陰陽道とは・・?

陰陽道とは簡単に説明すると、「古代中国の陰陽五行説の思想に基づいて天文・暦法・占術などの学問的なものから天人相関思想による祥瑞災異などの思想、あるいは呪術・祭祀に至るまでを包括したもので、日本において体系化されたもの。」と定義することができます。

即ち、森羅万象の理に則り、方角や月・太陽・星などの位置などを総合的にみて、物事の良し悪しを見極めるために用いられたもので、中国大陸から日本へ伝来した思想の1つです。

この陰陽道は、名前こそは違いつつも、現代でも占いと言う形で伝承が残っています。


厳島神社にこの月と太陽の紋章が刻まれている理由は、以下のようになります。

古来から、北東は「鬼門」であるといわれてきました。
そして、陰陽道に則り、この鬼門を封じる場合、大鳥居の東側(社殿からみて右側)に、太陽の紋を刻むことで、鬼門の効力を封じていると謂われています。

「陰陽道の理」を用いた場合、太陽があれば、月が対極の位置に存在しますので、対極に「月」を刻んだものだと思われます。


次回は、「厳島神社の大鳥居の謎・秘密(6)」

  
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2016-04-09(Sat)

31、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(4) 





  31、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(4)  




http://photo1.ganref.jp/photo/0/fdca21d302ad9f38efba9fe05280d776/thumb5.jpg



http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/72/9cb8bb7f328507f949ab275be562ad98.jpg
大鳥居の継ぎ目の部分 (コインについては後ほど)




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★ 大鳥居の構造の不思議、

次に、厳島神社の大鳥居は、厳島神社の境内から沖合約200mの位置に建てられています。 
そして、この鳥居に近づくことで、さらに理解できますが、厳島神社の大鳥居は、他の神社の鳥居とは、明らかに違う建築構造をしているのです。

それは、干潮時に鳥居の足元を見ればわかりますが、通常の鳥居であれば、柱が2本あり、それぞれの柱となっている木が、地中深くに埋まっているはずです。

ところが、厳島神社の大鳥居は、本柱は1本と前後に足が2本ついていて、左右ですと6本になっているのです。

そして、その4本の支柱で鳥居全体を支えているのですが、何と地中には埋まっていないのです。
つまり、置いてあるというか載っているだけなのです。 
水の動きの激しい海中でも、忽然と直立していられるのかと思われがちですが、厳島神社の大鳥居は置いてあるだけなんですね。



★ 大鳥居の立ち姿、此れはどういうこと・・?


大鳥居の柱の足元の底部分には、「千本杭の工法」と言う建築方法が用いられていると言われています。
厳島神社の大鳥居の大鳥居の足元の底の部分の所謂、「千本杭の工法」とは「杭の工法」の一つで、45cmから60cmの「松杭(まつぐい)」と呼ばれれるクスノキを用いた杭が打ち込まれています。

各柱に打ち込まれた松杭の数は、30本~100本ほど打ち込まれています。 
其のクスノキが鳥居の材料に選ばれて理由とは、以下のようになります。

他の木材よりも重量がある、腐食しにくい、虫に強い、などの理由からと言われています。



★ 大鳥居に玉石が詰められている・・?

次に気になるのが大鳥居の玉石の事ですが、エッ、玉石って・・?。 
大鳥居の高さは16.59メートルで、柱の間が10.85メートル、まさにビッグサイズの鳥居で、日本三大鳥居の一つで、 厳島神社を象徴する存在と言ってもいいでしょう。


因みに、その他の二つの鳥居というのは、もう一つが.吉野の銅の鳥居(かねのとりい)(重要文化財)で、金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂の参道に建っていて、室町時代のものと伝えられ、高さが約8メートルとされています。(額束は「発心門」)、二つ目が.大阪の四天王寺の石の鳥居(重要文化財)で、永仁2年(1294年)に造られた日本最古の石造りの大鳥居のとされています。

普通の神社を考えてみますと、鳥居の外ってどうなってますか・・? 階段があるとか、道路があるとかそれが普通です。
厳島神社の大鳥居の外はどうなっているでしょうか、そう、海なんです・・! 。
まるで、広い海も含めて厳島神社なんですって言っているようにも見えますね。

堂々とした大鳥居。注目したいのは、一番上の部分。屋根のようになっています。
屋根の下は箱形になっているんだそうですで、箱の中身は、玉石がぎっしり詰まっているおいわれます。

実は、拳ぐらいの玉石らしいく、何でこんな高いところに石を入れる必要があるんでしょうか、其れはどうやら鳥居全体をを重くするためみたいです。

水の中にあるだけに浮きやすくなります、従って石をギチギチに詰め込んで重みを加えている。
こんなに大きな鳥居が倒れないように工夫しているんですね。


次回、厳島神社の大鳥居の謎・秘密(5)

  
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2016-04-08(Fri)

30、安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(3) 









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 30、安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(3) 




http://cdn.mkimg.carview.co.jp/carlife/images/TownInfo/327866.jpg?ct=49dca68d04a4



http://厳島神社-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/wp-content/uploads/2015/08/4d20ecb847f3af21064d5d1ea01ee4da.jpg



https://encrypted-tbn3.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSfKwi4l6tuCDD5pp3q6RF2xyU0h8ZVYhzIx4xvpP-bnwdgCfOI




https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRCnUHjvXBnY_dbiZcORAdwVeSEzN7QG88iBA0PlYd8EZsZeWjg





大鳥居に飾られた扁額(へんがく)の意味、

そして、この大鳥居に飾られた扁額(へんがく)の文字が、海側と社殿側で異なっているということは知らない方も多いのではないでしょうか。 

実は、この厳島神社の大鳥居の扁額には、以下のような謎の文字が刻まれています。
海側には「嚴嶋神社」、そして社殿側には「伊都岐島神社」と書かれているのです。

しかし、この社殿側の「伊都岐島神社」とは、どういった意味があるのでしょうか、ま
ず、「伊都岐島」の読み方ですが、これは伊都岐(いつき)島と読みます。


さらにその語源は、神仏分離が行われる前で言う仏教の弁財天のことであり、所謂、弁天様にあたる「市寸島比売命(いちきしまひめ)」から来ています。 
勿論、伊都岐(いつき)島は厳島と同じ様な読みですが、名前を変えたのは清盛が厳島という名前を付けたとされます。 

その理由はこの厳島神社の厳(いわお、いつ)とは、神聖と言う意味や他にも威力(勢い)が盛大であるなどと言う意味合いにもなります。 


清盛は平家の繁栄と、将来、この厳島神社が、自らが創造した幻の都ともされた「神戸の福原京(ふくはらきょう)」の守護神として、この厳島神社の加護を得ることを想定していたとされます。 市寸島比売命とは宗像大社の三女神の一神でもあり、三神の中でも一番の神とされているのです。


厳島神社・大鳥居の「扁額」を書いたのはいったい誰かと言うと、扁額の裏には「明治7年甲戌四月二品熾仁親王謹書」と記されているそうで、江戸から明治時代の皇族である「有栖川熾仁(ありすがわ たるひと)親王」による染筆とされています。

親王はご承知の戊辰戦争や西南戦争、日清戦争において最高指揮官を務めた人物ですが、又、皇女和宮の元婚約者としても知られています。


次回、「厳島神社の大鳥居の謎・秘密(4)」





  
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2016-04-07(Thu)

29、安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(2) 









 29、安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(2) 






https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0b/ItsukushimaTorii7396.jpg




https://www.jalan.net/theme/isan/images/isan_phIS012.jpg





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鳥居とは何のため、どんな意味があるのか

厳島神社は、もともと宮島(厳島)そのものをご神体と考え、古代から航海の守り神とされてきました。
厳島の語源が、神に斎く(いつく = 仕える)島といわれて、島そのものが信仰の対象なのです。

一般に鳥居は、神が住む領域と人間の住む領域を別けるための門であり結界なので、宮島(厳島)からは少し離れた今の場所に立てられたのです。
潮の満ち引きで、海になったり砂地になったりする絶妙な場所ですね。

この大鳥居をはじめとする荘厳な建物を再建したのは平清盛。 清盛が再建するまでは小規模な神社でしたが、清盛の改修後は貴族や天皇一族も参拝し、平家一門とともに大いに繁栄したといいます。



大鳥居をくぐる海の道が参道

厳島神社には、海上に大鳥居があります。 厳島神社や宮島をイメージした時に、まず、頭に思い浮かぶのが、この「大鳥居」です。 まさに、ここ厳島神社だけではなく、宮島の「象徴=シンボル」とも言えます。
この大鳥居の謎というか秘密をチョット明かしましょう。

厳島神社の大鳥居は、本社から108m離れた海中に立っています。
そして大鳥居の延長線に本殿正面があります。

これは宮島の参道が海にのびているということが主体となっていて、厳島神社へのお参りは本来、舟に乗り鳥居をくぐって行くのが正式な参拝スタイルです。
その船の参拝の仕方、方法も、左に2回旋廻してから進むのが決まりだとかいわれています。
平清盛は、粋な演出を考えたものですね。



大鳥居のサイズ、

先ず、厳島神社の大鳥居のサイズ(大きさ)は、高さ約16.6m、棟(大棟・笠木)の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60t、厳島神社の大鳥居に使用されている木材はクスノキであります。 

厳島神社の大鳥居に使用されているクスノキの産地としては、社殿から向かって右側(東側)の柱が福岡県久留米市そして、社殿から向かって左側(西側)の柱が佐賀県佐賀市となっているそうです。


次回、 「厳島神社の大鳥居の謎・秘密(3)」

  
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2016-04-06(Wed)

28、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(1)










  28、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(1) 





https://encrypted-tbn1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcQk1MO2mPWD39ETSC96jAIKBeP9RRA3kGkI75kvr1YBVcmf7K9uJA



https://encrypted-tbn3.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcTftAhAXTK9QJN3QUcZKKM-bUidLec3w7UO2KZTdA5YzRr5GUsc






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厳島神社の大鳥居と参道、

厳島神社といえば、青い空と海をバックに浮かぶ朱色の大鳥居が印象的です。
海上に作られた鳥居は全国にありますが、どういう意味があるのでしょう。
そもそも鳥居とは、神域と人間の世界を分ける門のようなもの。鳥居をくぐり、参道を進んで神様の居場所へお邪魔をするわけです。 その参道も、厳島神社の本来の参道が海にあるのです。



平安期のかつての参拝方法

宮島は島そのものがご神体とされており、かつては人が住むことは許されていませんでした。
そのため、人々は対岸の地御前から船で厳島神社に向かい、大鳥居の下を船でくぐって厳島神社に参拝していました。
まさに、大鳥居から厳島神社へは海そのものが参道あったと言えます。

厳島神社では毎年の8月の大潮の時に「管絃祭」といわれる御船祭りが行われます。
管絃祭というのは、古くから都では貴族が池や河川に船を浮かべ、優雅な「管絃の遊び」をしておりました。 
嚴島神社を造営した平清盛はこの風習を嚴島神社に移し、海上で遊びではなく神様を慰めするための神事として執り行うようになりました
此の時に、大鳥居を中心にして行われ、御座船は本殿と大鳥居の海の上を行き来するようになるのです。




厳島神社の「管絃祭」について

管絃祭の時の御座船は、現在は和船を三艘並べて一艘に船組をしますが、昔は大きな船を一艘使ったようです。 この船には櫓が六丁あり自力で航行しておりました。
祭典は午後4時頃から嚴島神社の本殿で発輦祭(はつれんさい;天皇や神が出発すること)があり、次に御鳳輦(ごほうれん;来宮の神々を乗せ、町中を回って町の繁栄を祈る神事です。 宮司・神官をはじめ、総代・神役など御神幸行列は壮大な時代絵巻の再現となります)を管絃船に移し大鳥居前の儀を終えて、船内で管絃を合奏しながら対岸の地御前神社に向かいます。

管絃祭の祭典後、管絃船は宮島に向かい、長浜神社、大元神社で順次祭典を行い、大鳥居をくぐって各神社前で祭典と管絃があり、さらに狭い枡形に入り一気に御座船を三回廻りながら管絃を奉奏します。

このダイナミックな儀式が最大の見せ場で嚴島神社管絃祭のクライマックスであり、参拝客や観光客の興奮した声と拍手は、潮の香りのする廻廊にこだまし、夜空には満月が輝きます。
この儀式が終わると神様は本殿に還御され、真夏の瀬戸の海を舞台に繰り広げられた一大平安絵巻は幕を閉じます。


次回、 「鳥居とは何のため、どんな意味があるのか」

  
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