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2016-02-13(Sat)

中国地方の旅・兵庫県: 播州姫路 「国宝・姫路城」(Ⅲ) 




 中国地方の旅・兵庫県: 播州姫路 「国宝・姫路城」(Ⅲ)  





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ところで江戸時代の初期には全国に大小180ほどの城があったとされるが、その殆どが、明治維新の際の取り壊しや、戦災によって滅失し、名城・名古屋城や熊本城も例外ではなかった。
その中で、姫路城は幾多の危機を乗り越え、奇跡的にも往時の姿をよく残しているという。
そして現在、その建築物のほとんどが、国宝や重要文化財に指定されいる。
日本三大国宝城の一つ(他に松本城、彦根城)に数えられ、築城以来の姿をよく残していることもあって時に「天下の名城」あるいは「日本一の名城」とも言われる。 
現在、国宝に指定されている城は、松本城、彦根城、犬山城と、そしてこの姫路城の4つのみである。



姫路城の勇姿を何枚かカメラに収めて姫路を後にした。
今度は山陽道を西に向かう。備前I・Cより岡山ブルーラインへ、瀬戸内海が深く入り込む片上湾の入江を跨ぐ片上大橋を渡る。 
青空の下、紺碧の海が光る。 周囲は、たくさんの小島が海に浮かび、湾では無数の筏が浮かぶ素晴らしい景観である、牡蠣の養殖が盛んなようである。 
「道の駅・黒井山グリーンパーク」で小服を入れる、ここは、子供たちのための楽しい施設が盛りだくさんで、家族連れで一日中遊べそうである。

ブルーラインを邑久(おく)インターチェンジから、県道39号を南下して「牛窓」に向かう。
牛窓は、海沿いのリゾート地として知られる。 
オリーブが生い茂った小高い丘から見える瀬戸内の小島や、ヨットハーバーなどがかもし出す雰囲気から、「日本のエーゲ海」とも呼ばれているが、実際、目にしたのは、きらめく海に長く延びる防波堤があるわりには、船の姿も見あたらない不思議な港の風景である。 

謳い文句とは裏腹に、普通の港のようで特に観光地らしい景観は見られなかったようであるが・・?、
場所を間違えているのか、名に言う美風の景観地は他にあるのかもしれない。


次回は、 岡山の西大寺 「裸祭りの西大寺

  
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2016-02-12(Fri)

中国地方の旅・兵庫県: 播州姫路 「国宝・姫路城」(Ⅱ) 





 中国地方の旅・兵庫県: 播州姫路 「国宝・姫路城」(Ⅱ)  、



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姫路城は、鎌倉末期の元弘三年(1333:鎌倉時代終焉)に、播磨の守護職・赤松則村(南北朝時代、湊川の合戦で楠木正成を破った)がこの場所に砦を築いたのが始まりと言われる。
」と呼べる規模の構築物としては、16世紀に播州平野に割拠した小寺氏の被官である黒田重隆が築城したのが最初であるという異説もあるが・・?。

山陽道上の交通の要所・姫路に置かれた姫路城には黒田氏や戦国期・天正八年(1580)羽柴秀吉が西国支配の根拠地として入城し、翌年三層の天守閣を築いているる。
関ヶ原の合戦後、徳川家康の女婿・池田輝政(秀吉の仲介によって家康の次女督姫・とくひめを娶る)がその戦功により姫路城主となり、戦国末期から江戸初期の慶長年間から八年の歳月をかけ大規模に城域を拡張し、姫山に五層七階の天守を築いたのが今の城郭である。

輝政およびその子・孫以降は親藩松平氏や譜代大名が配置され、さらに西国の外様大名監視のために西国探題が設置されたりもした。
本多忠政が嫡子・忠刻とその妻千姫(徳川秀忠の長女)のために西の丸に化粧櫓を築き、1618年頃、今日の名城としての全容を完成させている。  
その後、榊原氏や酒井氏などのを経て明治維新後陸軍省に引き継がれ、明治末期に荒れた城の修復をし、昭和30年代から八年の歳月を費やして天守閣群を解体修理し今日に到っている。 


現在、大天守と三つの小天守およびこれらを結ぶ渡櫓(以上は国宝) をはじめとし、化粧櫓などの櫓27棟、門15棟、土塀およそ1km(以上重要文化財)と内濠、外濠の大部分は当時のまま残っているという。中濠より内は、特別史跡に指定され、また1993年(平成5年)、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

尚、上記の「昭和の大修理」により「50年は保つ」といわれていたが、今日、大修理から45年が経過し漆喰や木材の劣化が進んだため、大天守の白漆喰の塗り替え、瓦の葺き替え、耐震補強を重点とした補修工事が予定されているという。
2009年(平成21年)度着工、2014年(平成26年)度竣工予定としている。

事業費は30億円弱と見積もられ、工期中も工事や安全に支障がない範囲で大天守内部の公開は続け、大天守を覆うように素屋根を設置するため天守からの展望や外観の展望は望めないが、修復作業を見学出来る「見せる修復」も検討されているという。

次回も姫路城

  
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2016-02-11(Thu)

中国地方の旅・兵庫県: 播州姫路 「国宝・姫路城」 





 中国地方の旅・兵庫県: 播州姫路 「国宝・姫路城」  、





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天下の名城・「姫路城」




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日本で最も美しいと言われる「姫路城」は別名「白鷺城」ともいう・・、

この大幹線道・国道2号線は早朝というのに、交通量が多く神戸、大阪方面へ向かう流通大型トラックが目に付く。 
30分程して姫路市街に入り、国道2号線をそのまま東へ進むと、やがて姫路城の天守閣が遠望できるようになる。 

大手前通りからお城の方角へ向かうと、お堀端に沿って幅広い道路が東西に走っている。
その中央に大手門があり、ここから入園(入城ではない)する。 
まず、広大な三の丸公園が目の前に広がる。 
早朝のせいか観光客は少ないが、中年の夫婦や各グループがウォーキング、ジョギングを楽しんでいる。

正面中央に丸く囲まれた園地の中心に、巨大石で「世界遺産・姫路城」の刻印が刻まれている。
そしてその背後に遠く、高く姫路城・天守閣が聳えていた。 城郭へは、正面管理棟の「菱の門」辺りから入城するのであるが、現今は、時間外で入ることはできない、入城は600円とか・・!。

通りすがりの人と、話をする機会があった。 
和歌山の人で「全国の名城」を見物旅行しているという。 小生自身のことも若干話し多いに納得されたようである。
一週間ほど前に小生の地元「小田原城」を訪門されたといい、旅行の目的とは色々あるもので、小生も大いに感心させられた。

園内より東の方角へ行き、出来るだけ本丸・天守閣に近ずくと、朝日に照らされて白く輝く五層の大天守閣が天に突き上げ、その威容を誇っていた。 
この大天守は、三つの小天守を白壁の渡櫓が結んでいる。 
空に向かって建ち並ぶ天守群と白く美しい白壁の広がの様は、天を舞う白鷺のように譬えられ、姫路城は別名「白鷺城」(しらさぎじょう・はくろじょう)ともいわれる。


次回も姫路城について、

  
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2016-02-10(Wed)

新・日本紀行: 大江戸・日本橋について

 



新・日本紀行: 大江戸・日本橋について  ,



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今昔日本橋



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交通が頻繁な国道2号線を通って姫路へ向かう。

国道2号は、大阪府大阪市北区から福岡県北九州市門司区へ至る一般国道であり、本州と九州との間は、関門トンネルによって繋がっている。
国道2号は、其の東方面の国道1号線とつながっているが、無論、国道1号線というのは東京都中央区の日本橋から大阪府大阪市北区へ至っていて、ルートは旧東海道をほぼ踏襲した現代の東海道となっている。

余談になるが・・!、

ここで東京近郊に住む小生でもあるので、チョッと「お江戸日本橋」について記してみよう。
「お江戸日本橋七つ立ち」(現代で言うと「午前4時」頃に旅立って、「初上り」、つまり初めて東海道を京へ向かうという情景を歌にしたもの)の歌で知られるこの橋は、江戸時代から現在に至るまで文字通り日本を代表する橋として、わが国の歴史とともに歳月を重ねてきた。 

その最初の架橋は1603年、関ヶ原で徳川方が勝利した3年後であった。
江戸幕府(家康)は、江戸に到る五街道を定め、この橋を起点として整備を進めた。更に明治になってからは日本の道路元標をこの橋の中央に据え、各地の道標との距離を測定する基点とした。

現在使われている橋は、明治建築界の三大巨匠の一人、妻木頼黄(つまき・よりなか)のデザインで、構造設計は当時の東京市主任技師だった米元晋一が担当し、1911年(明治44年)に完成したものという。 
ルネッサンス様式を取り入れた二連アーチ式であり、欄干の前面には東京の繁栄を願って麒麟の像が、また中央には、その守護を願って獅子の像が据え付けられている。
なお、この橋の門柱に彫り込まれた「日本橋」という文字は、最後の将軍・徳川慶喜公の揮毫(きごう:毛筆で文字や絵をかくこと)によるものという。

往時の初代橋は当然、木造の橋だった。 
この辺りは江戸の中でも最も賑わっていた所で、浮世絵による名所絵(風景画)に描かれる日本橋には背後に富士山が描かれることが多く、江戸の象徴とも言えた。
この橋の袂には橋と川の織り成す景観を楽しむために水面近くまで階段で下りることができ、橋と流れの調和や上り下りの行き交う渡し船をみることができるスペースが設けられていたという。 

その一つは「瀧の広場」と称し、ナイアガラ瀑布のように壁面を水が流れ夏には涼しさを誘い、目を楽しませてくれたというる。 
この豪勢で美しい橋は、これまでの歴史から見ても、またその美観から言っても、日本における第一級の橋としての威容と、親しみやすさを兼ね備えていた。 
このような経歴とその風格から1999年には、橋の米寿を祝って国の重要文化財にも指定された。
現在の「日本橋」は、花崗岩製の第十九代のものであり、承知の如く上部に首都高速道路が被さっていて、圧倒的悪観を呈している。 

昨今、日本橋に被さる高速道路の移設が話題になっているという。 
以前から東京の景観破壊の元凶として首都高はしばしば槍玉にあげられていたが、それを、除くことはあくまでも理想論でしかなかった。
しかし、環境時代と言われる今日(こんにち)、小泉純一郎首相が日本橋の首都高を移設する一大事業に号令を出し、私的な有識者懇談会が発足している。 
当の石原都知事は、慎重姿勢を見せているらしいが、果たして・・?。


国道2号線は、いよいよ姫路に達した。 そして、天下の名城、国宝・姫路城は国道にほぼ接していた。

次回は、待望の「姫路城」



  
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2016-02-09(Tue)

中国地方の旅・兵庫県:播州赤穂 「松の廊下と忠臣蔵」 





中国地方の旅・兵庫県:播州赤穂 「松の廊下と忠臣蔵」  ,




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元禄14年(1701年)3月、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩は、江戸城・殿中松の廊下で高家筆頭(江戸幕府の職名、幕府の儀式・典礼、朝廷への使節、伊勢神宮・日光東照宮への代参、勅使の接待、朝廷との間の諸礼をつかさどった家)の吉良上野介義央に刃傷に及び、即日切腹、播州浅野家は断絶となった。 その後、元禄15年12月、大石内蔵助を始めとして47名が、吉良邸に討ち入り吉良上野介の首級を上げ、主君・浅野内匠頭の仇を討った。 いわゆる「忠臣蔵」の物語である。
この元禄15年末に起きた赤穂浪士の討ち入りは、二つの意味で世を動かす大事件であったと言われる。一つは無論、名家の当主、吉良上野介暗殺という刑事事件として。 
もう一つは武家政権の徳川幕府が開かれてから凡そ一世紀、時代は泰平を謳歌する元禄の世に、「武士道とは・・?」という根源的な問いを突きつけた事にある。

辱めを受け、無念の思いを残して切腹した主君・浅野内匠頭の仇を晴らしたのは、成る程武士として「あっぱれ」である。 しかし、内匠頭に即刻切腹を命じる一方で、吉良に「お咎めなし」としたのは幕府であった。 その幕府は、開祖の徳川家康以来、朱子学(儒学、おおまかには大義名分論のうち 何が正で、何が邪か、と言う事の根本思想)を根本理念とし、「臣下は分を守るべし」を強調し、所謂、戦国期よりの「非道」を戒めてきた。
赤穂浪士事件は「義挙」かもしれないが、幕府にすれば守るべき「分」を越えていたとも言えるのである。 然るに、これは皮肉なことで朱子学者の間では「浪士の仇は、内情は吉良であるが、実質は一方的な裁定を下した幕府ではないのか」という声も上がっている。 
官学者の筆頭とされる林大学頭(信篤のぶあつ・幕府の行政学者、儒学社))は、「天(幕府、将軍)は、忠義の臣を助けなかった」と嘆いたのは知れるところである。 
一方、武士道の根本を書した「葉隠」(宮本武蔵の愛読書)を著した肥前藩士・山本常朝は、「主君が死んで、仇を討つまでが長すぎる。(1年9ヶ月)肝心の吉良殿が死んでしまえばどうにもならぬ。上方のものは世間の覚えをめでたくするのは上手だが、無分別ではないのか」と評している。 要するに、「江戸城で浅野内匠頭が、松の廊下で吉良上野介に刃傷に及んだ時、何故、成否をかえりみず、即刻行動しなかったのか・・、それが武士道ではないのか」と批判しているのである。

討ち入りの時、大石蔵之助が山鹿流の陣太鼓を打ち鳴らして志士を鼓舞するが、その山鹿流の始祖「山鹿素行」直伝の浅野家・家臣たちは、殆どが「無条件開城」を主張したといい、これらも葉隠や山鹿流の教えには無い行動であるという。 時は元禄であり、時流と時代背景がそうさせたのかもしれないし、「武士道」も個人差が出る程度の哲学になっていたともいう。
尚、旧赤穂藩士の吉良邸討ち入り事件の元禄赤穂事件を題材をとった、歌舞伎や演劇・映画の分野での創作作品である「忠臣蔵」という言い方は、赤穂浪士方を善、吉良方を悪とし、赤穂浪士に対する賞賛の意をこめた呼名であり、客観性がなく非歴史的であることから、学術的な用語としては使用を避ける傾向にあるという。


次回、「赤穂城」



  
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《山のエッセイ》・・・
「上高地雑感」・・
「上越国境・谷川岳」・・
「丹沢山塊」・・
「大菩薩峠」・・

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