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2015-12-19(Sat)

四国の旅・愛媛県; 伊予西条 「西条の霊場・札所」 





 四国の旅・愛媛県; 伊予西条 「西条の霊場・札所」  ,





http://www.ohenro-portal.jp/images/61.jpg
チョットモダンな第61番・香園寺、

http://www7b.biglobe.ne.jp/~mkoori/homepege/P11202401.jpg
第62番・宝寿寺、

https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSs2sqsnTtoWLaaKgHvPOb2fiem0Wrixaa564_CJejfQDX247L7
第63番・吉祥寺、

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/db/2f/ushioni_gan/folder/1488355/img_1488355_59403712_0
第64番・前神寺




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湯浦温泉を出立すると、直ぐに小松町に入ったつもりであるが、2004年に西条市に吸収合併され、新たな西条市となっているようである。

この先、R196道沿いには幾つかの霊場・札所が並ぶ。
第61番・香園寺、第62番・宝寿寺、第63番・吉祥寺、第64番・前神寺等がある。 このうち先ず、宝寿寺、吉祥寺へ向かうことした。

中山川の大橋を渡り、JR予讃線を越えると大きな三角交差点に出る。
この道は、松山へ向かっている国道11号で、今度はこちらを走るようになる。 
伊予小松駅のすぐ近くに第62番霊場・宝寿寺が住宅で囲まれるようにあり、山 門の前に巨


大な文字で「一国一宮・宝寿寺」と刻 んだ古い石標が建っている。 
宝寿寺の「宝寿」の文字は複雑な旧漢字で表され、その古さを感じる。 

門 をくぐると、緑に覆われながら正面に本堂、右に大師堂が建ち、境内参道の左側には枯山水を思わす石庭が趣きを添えている。

奈良期・天平年間、聖武天皇が 諸国の国府に一の宮を造られた時、この近くに伊予・一の宮神社が建てられ、その別当寺として創建された。 
弘法大師が四国巡行の際、この地に留まれ、十一面観音像を刻み本尊として第62番の霊場に定められた。ところが大正10年に予讃線が計画されたため境内を駅へ譲って、現在の地に移転したという。




次に、予讃線の伊予氷見駅そばの第63番霊場・吉祥寺(きちじょうじ)へ参る。 
このお寺も宝寿寺同様R11号線沿 いにあり、庶民の寺という感じがする。 

本来、立派な山門から参道入堂しなければいけないのが、珍しく、広い境内のほぼ本堂の横まで車が入れるようになっている。 

門の正面に本堂、左手に大師堂が建ち、右手に庫裏が ある。
本堂には、四国霊場の中で唯一体の「毘沙門天」が本尊として祀られているという。



戦国期、天正年間の豊臣 秀吉の四国征伐(長宗我部氏)の時、この辺りの殆どの寺院は戦乱に巻き込まれて焼失しているが、当山も例外ではなかった。
往時は、寺域も広く、塔中二十一坊を有する大伽藍であったという。 

毘沙聞天の脇仏である「吉祥天」(毘沙門天の妃また妹ともされている)は富をもたらすとして、境内にある「くぐり吉祥天女」の下をくぐるとご利益があるとか、又、本堂の前に高さ1.2mもの「成就石」と呼ばれる穴の空いた岩があるが、この穴に目を閉じて金剛杖を通すことができれば願いが叶うともいわれている。

ほかに、長宗我部元親が難破したスペイン船を救助した際、船長から託されたマリア観音という秘仏も所蔵されているという。


次回は、西条・「石鎚山
  
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2015-12-18(Fri)

四国の旅・愛媛県; 伊予今治 「今治の巳正月」 




 四国の旅・愛媛県; 伊予今治 「今治の巳正月」  ,




http://comcom-nosuke.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2013/12/04/cimg3403.jpg
今治の巳正月風景





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「巳正月」とは

今治は伊予の中心で国府があったとされるが、国分寺やその周辺には其れらしいのは見当たらず、今治の何処にあったかは定かでないという。
その位置に関して様々な説があげられているが、当地の地名にもなっている「国分・古国分」の近辺であることは確かだといわれる。


よころで伊予の国分寺を中心とするこの辺りには、600年以上も続いている珍しい「巳正月」という行事があるらしい。 
これはその年の1月から11月までの間に亡くなった人の家族、親戚で行われるささやかな催しで、12月の第一巳の日に行うので、「巳正月」とか「巳午(みうま、みんま)」と呼ばれるそうである。

お正月めいた事を家族身内で行われる行事である。 

家には祭壇を飾り、その年に亡くなった新仏を呼んで巳の刻にお墓参りに行くが、その時の行き帰りには口をきかず、焼いたお餅を引っ張りあって食べ、更に、家に帰ると祭壇の前で「あんころ餅」を食べるという奇妙な祭事である。


その謂われについて
巳正月は国分寺の武将・脇屋義助公が亡くなった命日にあたるという。
当初は秘密であったため、家来達が義助公を偲んで人に知られないように、夜中にお墓で正月の餅をついて、無言で食べたのが由来だという。




国道196号線を南下しながら車を走らせると、道の駅「今治湯ノ浦温泉」があり、ここで一休み。 

これ幸いと記念に一浴しようと思ったが、ここには温泉は無く、源泉の湯けむりを石でイメージしたモニュメントのみであった。 ただ、温泉スタンドがあり、100リットルが100円で提供している。 

後方の小高い丘陵地にいろいろと温泉施設が点在する事を教えてもらったが・・思案!。 
石のモニュメントは時折、間欠泉のようにドドーっとお湯が湧き出している。


湯浦温泉は、四国で始めて国民保養温泉地(温泉の利用促進を狙い、温泉法第14条に基づいて環境省が指定をした温泉地のこと)に指定されましたところ。 

温泉の有る湯浦地区内には数件のホテルや旅館、日帰り入浴の出来る「四季の湯」がある。 温泉は弱アルカリ性・ラドン含冷鉱泉、源泉25℃、効能、神経・痛筋肉・痛関節・痛五十肩


  
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2015-12-17(Thu)

四国の旅・愛媛県; 伊予今治 「今治の霊場・札所」 





 四国の旅・愛媛県; 伊予今治 「今治の霊場・札所」  ,





http://www.88shikokuhenro.jp/ehime/62hojuji/img/map.gif



http://www46.tok2.com/home2/jyunrei88/jyun/otera596.JPG
第59番・国分寺


http://www46.tok2.com/home2/jyunrei88/jyun/tera621.JPG
第62番・宝寿寺

http://www.45988-taxi.com/junrei/63/63A.jpg
第63番・吉祥寺、




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自家祭壇の前で「あんころ餅」を食べるという奇妙な祭事(今治)


今治の郊外、国道196号沿いを訪ねた。 

田圃の中に今までの霊場とはやや異なった様子で、高く石垣を組み白い壁塀をめぐらせて台地に「泰山寺」は建っていた。

石垣を上り境内に入るとすぐ 左に鐘楼、庫裏、奥に本堂と大師堂が概ね横一列に並んでいる。



背後にある山は山号になっている金輪山で、寺はもともとこの山頂に建っていたという。

弘仁6年(815 年)、天災・災害の多かったこの地に大師は、これを鎮めるために地蔵尊を刻んで本尊とし寺を建立した。 


寺名を延命地蔵経といい、お経の中の第一「女人泰産」からとって泰山寺と名付けたという。
境内の「不忘の松」はこの時、大師が記念にと植えられた松であると伝えられている。

更に、泰山寺から車で10分ぐらいの市郊外のち、海岸に近いとこの平坦地に第59番霊場・国分寺があった。 


奇麗に植栽された数十段の石段の上、立派な石塀と石門の正面に堂々たる本堂があり、右手に大師堂、左手に 金比羅堂、その一段下ったところ に庫裏がそれぞれ堂々たる構えを見せている。 

次回も今治

  
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2015-12-16(Wed)

四国の旅・愛媛県: 伊予今治 「海水掘の今治城」 




 四国の旅・愛媛県: 伊予今治 「海水掘の今治城」   、





https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcR-VXFkLmyFTp-XwuZEOihP6GZ7IOKlCAFFZkmF0ljMzE-rW8LULA


http://art56.photozou.jp/pub/88/708088/photo/125465847.jpg



珍しい海水掘の「今治城」




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先ず、暗渠で繋がっている海水掘が特徴の「今治城」について

今治市に入って変わらずに東の方向に進路をとっているが、市内に入ってから直ぐ左手にお城が見えてきた。
と通ってみると水に浮かんでいるように城郭や天守が堂々としている。

奈良時代の後期に伊予国が誕生し、この国の中心として国府(今の県庁)が今治におかれた。
市史には、「国府在越智郡」という記述があり、国分寺(国ごとに建立された政治的に影響のある官寺。奈良の東大寺を総国分寺とした。)も近くにある。 

平安期、菅原道真の父・是善公が伊予の国司として今治に派遣されていたことは余り知られていない。 その関係からか道真公が京・府内の騒動で九州太宰府に左遷されたことは、西国・伊予に国司として父の在任があったからともいわれるが、道真が途中、父に会いに伊予の国に立ち寄ったかどうかは定かでないという・・?。


今治(いまばり)は戦国末期、藤堂高虎がこの地を統治する際に「今からこの地を治める」の意を込めて「今治」と命名したという。 実に単純明快である・・!、 
高虎については前にも記したが、近江国(滋賀)の生まれ。 浅井長政、羽柴秀吉らに仕え、姉川の合戦、賎ヶ嶽合戦、文禄の役(朝鮮の役)などで戦功をあげ、宇和郡7万石を与えられ宇和島城を築いた。 
その後も、戦功をあげて伊予国20万3千石の大名として唐子山の今治・国分城に入城し、後に海に面した今治城を築城した。 城郭は20万石にふさわしく堂々とした建築で、本丸には五層の天守閣が聳え、城門が九カ所、約20の櫓があったという。

今治は、目前に瀬戸内海最大の難所・来島海峡を望む海上交通の最重要拠点であったことは先に記した。 
瀬戸内水軍の動き、海峡や島々を挟む対岸の安芸国(現在の広島県)の情勢を警戒し、それらに即応対処する事が求められていた。 
高虎の発想は水軍の将としても一流で、城は海岸線の砂浜に海と一体になるよう築かれ、強固な海上要塞として完成し戦略的効果をも演出したという。
濠には、舟溜まりが用意され、水軍基地としての運用も可能となっている。当時は、内濠・中濠・外濠から成る三重の濠が造られ、常に海と繋がっていてその幅もかなり広い。特に、内濠の幅は60mにも及んでいた。
因みに、三大海水城は、他に高松の玉藻城、大分の中津城などである。

現在の今治城の外郭堀は築港や陸上交通の観点から埋めたてられ、外海と断絶してしまったようだが、暗渠にて濠の水は海と繋がっているという。
そのため海水が流出入し、潮の満ち引きで水位も変化し、堀には鯛やヒラメも泳いでいるらしい。 
海の水を湛えた堀に映る今治城の姿は、築城の名手が手がけた美しさを今の世に残している。 


 次回も今治について、  、

  
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2015-12-15(Tue)

四国の旅・愛媛県: 伊予波方 「村上水軍」(Ⅱ) 





 四国の旅・愛媛県: 伊予波方 「村上水軍」(Ⅱ)   、




http://shinshu.fm/MHz/77.99/images/fjrTXRCp.jpg



村上水軍博物館




60年程続いた南北朝の時代に、南朝の後醍醐天皇の懐良親王(かねよししんのう・後醍醐天皇の第11皇子)を助けたとされる「村上義弘」が頭角を現し、村上水軍の基盤を確立した。

一時は、瀬戸内全域を制する海賊大名であったが、織田水軍(和歌山・九鬼)と2度戦い、2度目の戦いで織田水軍が仕立てた鉄甲船(紀伊の九鬼水軍)の前に大敗し、次第に勢力を弱めていった。 

更に豊臣秀吉の時代になり、海上の権力を警戒した秀吉によって海賊禁止令が出され、次第に衰退してゆくが、中世の歴史を語るのに村上水軍を外して語れないともいわれ、晩年、朝廷より義弘公は正五位を賜っている。



来島海峡大橋のすぐ西側に、周囲1kmほどの小島が「来島」である。(来島の南に実際に「小島」という島もある) 
往時、来島・村上水軍がここに根拠をもち、来島城の城塞が全島をめぐらしていたという。

しかし、水軍の将家・来島家も、徳川幕府の成立にともない豊後(大分県)に移封され、その後再び今治に戻ることはなかったという。 



こんな、村上水軍の古跡の地に、今でも、その精神、技術が継承されているのだろうか・・?、
大西町、波方町(現今治市)には、造船で有名な来島ドッグがある。 
戦前は、軍艦などを建造していたが、現在は日本でも有数の産業用の造船所として伊予地方の経済を支えている。


戦後、経営難に陥った「来島ドック」の再建を引き受けたのが、伊予地方出身(松前町)の坪内寿夫であることは有名な話である。

社長に就任いらい伊予商人独特の月販方式(月賦販売、今で言うクレジットは伊予今治が発祥地といわれる)などをテコに急成長し、その後も佐世保重工業など造船会社の再建を相次ぎ引き受け、巨大な造船グループを築いたことで、業界では造船の神様、四国の大将とも称される。


次回は、「今治





  
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