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四国の旅・高知県; 土佐の高知 「桂浜と龍馬」 ,
写真:土佐の高知の「桂浜」
桂浜から大洋を見据える「坂本竜馬像」
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一旦、はりまや橋の大交差点に戻り、今度は右折して県道34号線を、やや浦戸湾に沿いながら「
桂浜」へ向かう。途中、「横浜」という地名に出会った。
神奈川に住む小生にとっては懐かしい名前である。
えば、東日本を周遊している時、青森の下北半島の付け根部分にあたる所に「横浜町」というのが在った、たしか、日本一の菜の花の名所と記憶しているが。
もっとも、横浜という名称はありふれた名で、浜の近辺なら何処にあってもふしぎではないが・・!
横浜から瀬戸の住宅地を抜けると、突然、太平洋へぶち当たった。標識に従って、左折し、清々した海岸を行くと、間もなく高台の曲がりくねった道より大駐車場へ出た。
桂浜の駐車場で近くには、土産、物産の販売所がある。
本日、土曜日であるが、朝まだ早いことから車や人影は殆ど無い。岬の先端の石段を下ると、箱庭のような桂浜の風景が目の前に広がった、土佐を代表する名勝・「桂浜」である。
大海原と青くこんもり突き出た岬(上龍頭岬)との配置景観が実に良く、ハートに響く・・!、満月の夜景を想像しながら「
月の名所は桂浜・・」に納得である。
砂浜に整備された遊歩道をゆく、高台の竜頭岬には土佐を代表する志士「坂本龍馬像」が遥か太平洋を望んで、堂々と建つ。
1866年(慶応2)、京都・薩摩藩邸、奥座敷の一室に長州藩代表の
桂小五郎(木戸孝允)が控える。
別室に薩摩藩代表小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通が着座して居る。
竜馬が駆け込んで、西郷に向かって「
おはん等、未だ思案しちょるんか、くだらん意地でこの同盟を、この日本を、だめにしてしまうんか・・!!」 大きな目を正視していた西郷は、一時して「
分かりもした・・」と言って立ち上がり、別室の桂に歩み寄り、深く頭をたれて「
よろしゅう、おたの申す・・」と、遂に、ここに坂本竜馬の努力によって薩長同盟が結ばれ、これが歴史の流れの大きな分岐点となり、倒幕・維新革命への大きな流れを起こすことになる。
後に竜馬は、西郷のことを「
西郷は馬鹿だ!!しかし、馬鹿さの幅が分からない、小さく叩けば小さく響く。大きく叩けば大きく響く・・」と言わしめた。
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