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2016-07-09(Sat)

平成日本紀行(126)阿蘇 「外輪山・大観峰」 



九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです





『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/





 平成日本紀行(126)阿蘇 「外輪山・大観峰」   、





https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b2/Mt.Aso_and_caldera01.jpg/1024px-Mt.Aso_and_caldera01.jpg
大観峰の眺め




https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/00/Mount_Aso_kabuto-iwa_viewpoint.JPG/1024px-Mount_Aso_kabuto-iwa_viewpoint.JPG
正面が外輪山の大観峰、麓は内牧地方、




daikan






「日本一周の旅の記録」へリンクします
 

昭和天皇が阿蘇を訪れた或る時、係りの者が「あちらに見えますのが阿蘇でございます」と説明した。すると口癖の「あっ、そう」と答えられたという、それが計らずもギャグになり陛下も気が付いて思わず苦笑されたという・・!




再び、県道11号を走る。
はじめは市街地の道であるが次第に田園地帯になり、やがて、 森の中をヘアピンカーブで阿蘇外輪山を登り、登り切ったところに城山展望台が在った。 

先ほど来た道筋を目で追ってゆくと、阿蘇山にたどり着く、中岳の白い噴気が緩やかに風に靡いていて実に望洋たる風景である。 
大草原の道・県道11号は、その名も「やまなみハイウェイ」といって大分県の九重・飯田高原から湯布院、別府へ到る。 強いて言えば熊本から阿蘇を経由する一大観光高原ルートなのである。


小生は此れより外輪山の大観峰から今人気の黒川温泉へ向かうこととする。
この旅の目的は日本海道一周であったはずである・・?、
その通りであるが、何故内陸へ・・?、

実はこれより別府へ向かって、そこで3~4日別府の温泉で旅の疲れを癒し逗留をするつもりなのである。 

又、他の理由もあって、数日後に(6月10日)妻及び娘家族と鹿児島で落ち合い合流するつもりなのである、その為の日数調整でもある。



先へ進もう・・、
草原の中の道が“これでもか”・・、というくらい続く。 
しばらくして「やまなみハイウェイ」の県道11号・ 別府一の宮線とは分かれて左へ進むようになる。 

幾つかの牧場を通り過ぎる、所謂、牧歌的風景とはこんな所を指すのだろう、ドライブ好きにとっては、まさに「生き天国」のような道である。 
爽風を感じながら鼻歌気分で、走っている内に「大観峰」へ着いたようだ。


山頂にはかなり大きな駐車場が在り、阿蘇でも人気、有名スポットであることが判る。 
横には立派な売店も用意されていて、この先にピークの展望地が設えてあった。 

大観峰からの眺めは余りにも有名で、先ず、何と言っても世界一といわれるカルデラの真中に悠然と横たわる阿蘇五岳の姿であろう。 
その雄大さは、お釈迦様の涅槃の時の寝姿を思わせるところから、涅槃像(ねはんぞう)とも呼ばれている。 

確かに、東側を頭に仰向けに寝ているようである。 
顔の部分が東に位置する根子岳で、首の部分が日ノ尾峠と凹み、胸が最高峰の高岳、中岳と並び、膝のところが烏帽子岳あたりに相当するのではないか・・、と勝手に想像しているが。

直下には、田園の中に阿蘇で最大の温泉地・内牧温泉郷が望める。 
夏目漱石や与謝野鉄幹・晶子夫婦もここに投宿したという昔からの温泉地で、設備の整った大型ホテルや旅館など大小の宿が30軒余りある。

泉質は含石膏芒硝泉で、神経痛・リュウマチ・創傷に効能があるそうで公衆浴場も9軒余りあり、入浴料もだいたい100~400円程度で良心的なのが良いと。 
阿蘇周遊の途中に立ち寄るのに良さそうだである、この地から国道212号が曲折を繰り返しながら大観峰まで達している。振り返ると九重の連山も一望できる。 


その雄大な眺めに感動した文豪・徳富蘇峰(熊本を代表する文豪、歴史家、言論人で、太平洋戦争では開戦論者として民衆を鼓舞し開戦へ導いたとも言われる。弟は作家・徳富蘆花)が「大観峰」と名付けたと言われる。 

余分であるが、「大観峰」というのは同意同語で北アルプスの一角、後立山連峰と黒部湖の大パノラマを眺望する、所謂、「黒部立山アルペンルート」のルートの一角にも在ったが。
眺望を意のままにして大観峰から去る。



阿蘇外輪山を下りながら思い出したことがある。 
昭和天皇が阿蘇を訪れたとき、「あれが、阿蘇です」と説明したところ、「あ、そう」と答えた逸話がある。

昭和20年8月、日本が終戦を迎え、国民は失意のどん底に居て、明日への気力を亡くしていながらも米軍はなぜ広島と長崎に原子爆弾を落としたのか、ソ連は何故急に日本に参戦したのか等々冷静に観察しながらも、一方では全国の町村役場では執務が続けられ、交番が普通に機能し、治安は維持され更に、鉄道は時刻表にしたがって運行していたという。 

国土が目茶目茶になって国民、一般人は思考は尋常ではなく、ある種の空白が生じていた。
しかし、日本人の生活意識はしっかりしていたらしく、そのことは世界の常識から見れば驚くべきことであったらしい。


こんな混乱の時期、天皇陛下は戦後の復興のために働いている日本国民を励ますため、日本全国の津々浦々を巡幸し遊ばされたのである。

余談だが、岐阜・高山では人口三万の市に、陛下をお迎えする人々が近隣の村々から18万人もの人々が前の晩から押し寄せ、旅館が無いので市長は映画館を終夜開放斡旋したという話もある。 
又、小生幼少の頃(現、福島県いわき市湯本)、お召し列車(天皇の巡幸列車)が常磐線の湯本駅に到着した際、日の丸の小旗でお迎えし、尚且つ、陛下は親父の勤務していた会社「品川白煉瓦」を訪問され、その時の記念写真を見せてもらった記憶もある。 

そんな中、陛下の九州巡幸は昭和24年の5~6月にかけて27日間に及んだという。


一般に天皇は何か説明を受けると「あ、そう」と連発することで有名であったらしい。 
陛下が阿蘇を訪れた或る時、係りの者が「あちらに見えますのが阿蘇でございます」と説明した、すると口癖の「あっ、そう」と答えられたという。 
それが計らずもギャグになり、陛下も気がついて思わず苦笑されたという。 

陛下が阿蘇に来られて、何時、何処で、このギャグをとばしたかは定かでないが、県道11号線のやまなみハイウェイの阿蘇外輪山の「山城展望所」へ御立ちになったことは確かであるという。

又、「あの草は何というのか」と御下問されたときに、「陛下、あれはただの雑草です」と答えたという、そしてその人物に向って「雑草という名の植物はない」と窘(たしな)められたともいう。

因みに昭和天皇は生物学者でもある。 
植物や海洋生物の研究にも力を注ぎ、植物学では那須周辺や皇居、伊豆の植物群の研究、海洋生物では特に相模湾のヒドロ虫類(クラゲやサンゴ、イソギンチャクの仲間)に造詣が深く、皇居内に生物学御研究所が建設されているほどである。 

昭和4年、粘菌研究(枯れ木・枯れ葉などの表面にアメーバ状生物:原生動物)の第一人者である南方熊楠より進講を受けられ、粘菌研究でも一流といわれる。 
これまで単独、或いは共同研究で多数の研究書籍を出版・発行している。


次回は、「南小国町

  
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2016-07-09(Sat)

平成日本紀行(126)阿蘇 「阿蘇神社」 



九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
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 平成日本紀行(126)阿蘇 「阿蘇神社」  、











写真:阿蘇神社本殿と楼門




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阿蘇山が火の神の象徴で、その祭神が・・、

宮地の駅前を左折して県道11号線に入った先に、一の宮の「阿蘇神社」へ出た。
境内の一角に駐車場があり、ほぼ正面に威風堂々の門が構えていて、まずその大きさに驚く、「楼門」と言うらしい。 

大楼門は全体の造形美に加えて屋根下部の細かい彫刻もすばらしく、日本三大楼門(他に茨城県の鹿島神宮、福岡県の箱崎宮)の一つとされ、屋根は二層式で正式には「二層楼山門式」と云われる。 
くぐり通路の上には巨大な注連縄(しめなわ)が飾られ、上部には金文字の大額が「阿蘇神社」と標している。

この文字は、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう:明治維新戦争時の官軍総大将・東征軍の軍歌「宮さん、宮さん、お馬の前で・・・」とは親王のことを指す)の御筆によるという。
高さ21mの2階建造り。


楼門をくぐり境内へと入ると格式、風格ある社殿が鎮座する。
先ず、本殿正面の参拝殿に額ずく。左右を見渡すと社殿の数が多い、その数なんと12神の祭神を祀ってあるという。

主神・一宮が健磐龍命(タテイワタツノミコト:阿蘇大神)、二宮が阿蘇都媛命(アソツノヒメノミコト:阿蘇大神の妃)、・・・。

日本の初代天皇である神武天皇(紀元前660年即位)の孫にあたる健磐龍命はこの阿蘇の地に新天地をつくったとされ、創立は孝霊9年(紀元前282年)と言われる。

阿蘇神社は、阿蘇開拓の祖と言われ歴史、格式とも申し分ない神社である。
健磐龍尊は現在の京都府である山城国宇治から阿蘇に来たとも伝えられ、神武天皇の勅命により阿蘇に下って鎮西鎮護の大任を果したとされる。 

健磐龍は健々しく岩が立つ状態を神格化したもので、“立つ”とは自然現象が急に出現する状態を指し、阿蘇山が噴火して火を噴き、火山弾が降ることで阿蘇山に対する霊異から「火の神」とも言われ、この地方を広く「火の国」とも称したという。
又、水神・治水の神の自然神とも見られ、国造り、農業の神として崇められている。

その昔、阿蘇の大爆発で裾野のを残して大陥没を起こした。やがてそこに水がたまり、外輪山の中は一面湖水で覆われてしまった。
健磐龍命はこの水を流して作物の取れる豊かな国にしようと考え一蹴りされると、山は一気に崩れて大きな穴があき、水は勢いよく外へ流れ出した。
その為か、今は緑豊かな田園が広がる肥沃な地になっているという。



阿蘇神社の参道は拝殿に向かわずに、阿蘇山(高岳・・中岳)に向かって拝殿の横(西方)を真っ直ぐ南方に伸びている(阿蘇神社は全国的にも珍しい横参道という)、つまり、本来の祭神は阿蘇山であるとも言われ、又、阿蘇山-阿蘇神社の北方の延長上に「国造神社」がある。

この阿蘇山-阿蘇神社-国造神社の南北の一直線を“聖なるライン”と言われてる。
国造神社(こくぞうじんじゃ)は別名・北宮ともいい、阿蘇神社の北約4㎞の地点で外輪山の内側麓に鎮座している。
この国造神社と阿蘇神社の直線上に阿蘇五岳の中岳が位置していて、聖なるラインと言われる。 
祭神は健磐龍命の第一子・国造速瓶玉命(クニノミヤツコハヤミカタマノミコト)といわれ、社は延喜式には905年創建と書かれている。


阿蘇神社の末社は全国450社を超え、その殆どが熊本県内に存在しているが、明治に定められたの社格の制度では官幣大社(かんぺいたいしゃあ)という最上位の神社に位置していた。
社殿は総欅の白木造り、「阿蘇式」と呼ばれる他に類のない様式であるという。

楼門を出て横へ行くと、確かに門前横丁と言われる「横参道」(聖なるライン)商店が並び、中には昔の面影を残す粋な建物も並んでいる。


次回は、阿蘇・「大観峰

  
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